ウェールズの山 目次
ベートーヴェンと写譜師
原題について
見どころ
ああ、何という…!
アンナ・ホルツ
奇人ベートーヴェン
できの悪い甥
第9番の初演当日
巨匠の新たな挑戦
大フーガ
近代西洋音楽史
音楽のブルジョワ化
音楽の建築職人として
ドイツ哲学の展開と並行
作曲法と耳疾
第9番の指揮は誰がやったのか
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アマデウス
オーケストラ!
マダム・スザーツカ
のどかな信州の旅だより
信州まちあるき

■音楽の建築職人としてのベートーヴェン■

  坂本龍一は、ベートーヴェンを「律儀なレンガ積み建築職人のように音楽を構築する」と評している。
  「レンガ積み」という表現を取ったのは、小さな煉瓦のような断片的部品=単位を配列し連結しながら、音楽の巨大な建築物を組み立てていく方法論をとっているという意味である。
  1小節ないし2小節くらいの小さな音形(旋律や和音配列)を単位としながら、それらを1つ1つ丁寧に磨き上げ研ぎ澄まし、それらを加工変形しながら、関連づけて配列し、組み立てて、全体の調和を設計し、巨大な構築物に仕上げていく、というわけだ。
  レンガとなる単位の仕組みはきわめて単純化されていて、1つ1つはそれほどの天才的閃きや輝きがあるようには見えない。が全体としてでき上がると、恐ろしいほどの堅固な均衡と調和、体系性を見せるエンジニアリングである。たとえば典型的には、ピアノソナタ第8番・第14番、交響曲第5番『運命』がそうだ。
  私がここで音楽の構築性とか体系性と表記したのは、そういういう音楽の組み立て方のことだ。

  モーツァルトは、十数小節から20小節くらいのなかに、たくさんの眩しく輝くモティーフ――主題動機となる音形――を散りばめ、アクロバットのように巧妙に配列する。それが、部品となって音楽が組み立てられている。つまりは、20小節くらいのブロックが連結されて曲が構成されている。
  よくもまあ、あれほど多彩なモティーフを思いついたものだし、変化に富んだ多様な動機を、破綻なく美しい調和=体系のなかに組み込んだものだ!……と思って流れに乗ると、あっという間に一挙に20小節くらいまで行ってしまう。やはり天才なのだろう。
  だが、しつこく吟味すると重厚性や構築性は、柔軟だが脆く、むしろねらいは軽快さや流麗さやインスピレイションの巧みさを訴えるという筋合いのものが多い。もちろん、堅固な構築性や体系性を狙って、見事にその目的を達成している作品――たとえばピアノソナタ第8番や交響曲第31番、第40番――もある。

  というわけで、モーツァルトの楽曲はだいたい、最初の輝くような、あるいはうっとりするようなモティーフに気を取られているあいだに、曲想の中心にまで引き込まれてしまう。
  これに対してベートーヴェンの楽曲は、端緒=出発点が単純で整然としているから、そのあとの展開を追いかける――曲の体系や構成を眺める――心の準備をさせてくれる。言い換えれば、一歩一歩私たちを説得し納得させながら前進していくような気がする。ただし、その分、音楽に詳しい人たちは「説得がましい」とか「押しつけがましい」「暑苦しい」と感じるかもしれない。
  そして、坂本龍一が言うように、音楽感性の優れた人ほど、精励刻苦した「汗臭さ」、努力の後の暑苦しいほどの熱気を感じてしまうかもしれない。


■ベートーヴェンの音楽観■
  その意味では、ベートーヴェンの音楽は、19世紀の都市の勤労市民階層の人生観と形の上では結びついている。音楽=楽曲は、――アマデウス・モーツァルトのように――直観的に天啓(閃き)を受けて美しい音楽を獲得したというよりも、額と手に汗しながら「労働」して彫琢し磨き上げた職人技の成果のようにも思える。つまり、人間の手による労働の過程を経て組み立てられた芸術なのである。
  とはいえ、賃金労働者階級の「労働」とは、まったく別の次元の「労働」であることは言うまでもない。教養知識人階級、教養市民のリーダーとしてのアルバイトなのである。
  楽曲は、神の啓示=閃きを受けて直観的に表現した結果ではなく、人間の意思的・意識的な活動をつうじて磨き加工され、組み立てられた成果、労作なのである。

  ベートーヴェンは、閃いた楽曲構想を吟味する。そして曲想全体を小さな断片(部品)に分解して精緻に吟味し、そのあとに系統的に連関させて――まるで一定の内的連関性によって必然的と感じるように――次の断片=部品を連結し、積み上げていく。
  つまりは、各部品とそれらの相互関係を分析し吟味し、組み立ていくのである。
  楽曲全体を、綿密な分析・吟味可能な小さな単位=断片にまで分解し解剖する。しかるのちに、本来あった全体構想の形に戻すかのように組み立て直すのだ。
  前の断片(小節)から次の断片(小節)への移行は、最初の音形の変形――上向あるいは下向、または転調――によっておこなわれたり、その対極にある対立的な音形の提示ないし相互作用であったりする。

  このような意味では、流麗な大きな絵巻を見せるのではなく、曲想の構成単位をていねいに提示し、吟味分析し、いわば必然的なつながりによって連結し組み立てていく方法論だといえる。楽曲の展開は、内発的な上昇力というか膨張力によって推進されるがごとく。

  この姿勢は、調和や美しさを直観的・超越的・先験的に提起するというよりも、批判や検討を加えながら加工された部品を組み立てていくことで、曲の内的構成、構築体系を開示していくものである。私たちは、ベートーヴェンに説得され鼓舞されながら、あたかも階段を一段ずつ昇るように前に進むのだ。
  音楽の美しさ、完全性、調和性は、なぜ、いかにしてそうなのかを、音楽の構造自らが示すようにしたわけだ。
  だから、私のように門外漢には分かったような気分にさせてくれる反面、音楽性豊かな人は押しつけがましい、「やぼったい」と感じるだろう。

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