ウェールズの山 目次
ベートーヴェンと写譜師
原題について
見どころ
ああ、何という…!
アンナ・ホルツ
奇人ベートーヴェン
できの悪い甥
第9番の初演当日
巨匠の新たな挑戦
大フーガ
近代西洋音楽史
音楽のブルジョワ化
音楽の建築職人として
ドイツ哲学の展開と並行
作曲法と耳疾
第9番の指揮は誰がやったのか
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オーケストラ!
マダム・スザーツカ
のどかな信州の旅だより
信州まちあるき

■ドイツ哲学の展開と並行パラレル

  このようにヴィーン古典派から発展・転回してきたベートーヴェンの方法論=音楽観、そして彼以後の音楽方法論の展開は、同じ時代のドイツ哲学の歩みとパラレルになっている。つまりは、カントからヘーゲル(やがてマルクスにいたる)への認識論や論理学の展開とよく似ている。

  カントもヘーゲルも認識を構成する推論や判断の進行過程ならびに構造を分析し、認識の体系を単純な多数のカテゴリーに分解しつくして、それらの内容や限界、相互関係を吟味して組み立て直すことで、認識の真理性( Wahrheit / Validity )を徹底的に批判的に吟味・検証した。それが対論法( Dialektik :弁証法)として結晶化され体系化された。
  つまりは、純粋理性とか直観による把握とか神の啓示とかとして従来、認識や判断の正しさ=真理性の裏付けとされていたものを根底的に疑い破壊・解体し、その神秘性を剥ぎ取って、人間の知性による認識とはどういうものかを分析・解明し、認識を構成するカテゴリーや論理の意味内容・限界と相互関係を検証することで、認識がなぜ、いかにして真理たりうるか――あるいは、たりえないか――を論証したのだ。

  論証は具体的には、まず対立的な2つのカテゴリーや判断命題を提示し、対立の根拠を示し、より高次の全体的な文脈のなかに位置づけ直すという方法でおこなわれる。
  ただし、カントでは、対立的命題のあいだには厳しい峻別があったのに対して、ヘーゲルでは、峻別という判断をもたらした根拠としての認識視座の意味=限界が示されて、より包括的な視座のなかで統合される――この統合された判断は、さらにより高い次元に持ち上げられ、これまた対立的な命題(判断)と対置されることになる。

■ソナタ形式=方法■
  対立する2つの立場が対峙し、対話し論争しながら、より高い次元に統合されていくという対論法にも似た楽曲構成法がベートーヴェンによって完成された。その背景には、その時代に、楽曲の組み立て=設計方法としての《ソナタ》が確立されたことがあった。というよりも、ベートーヴェンが楽曲の構成法としてソナタ形式を確立し、それが交響曲をはじめとする音楽の方法論の中心となったというべきかもしれない。

  ソナタは、いわば主題を明示して楽曲をきっちりと構成する方法様式だ。それが、大きな管弦楽向けの方法=形式になると、《交響曲》になる。
  私に理解できている程度に大雑把に言うと、ソナタは楽曲全体の構成が、基本的に《主題提示部》《展開部》《主題再現(統合)部》の3つからなる。
  で、主題提示部では、原理的に2つの対蹠的なライトモティーフ( Leitmotiv :主要動機)が提示される。
  次いで、展開部では、2つのモティーフのあいだの対話や論争、牽引影響やら相互作用による変形、転調が繰り広げられる。言ってみれば、2つの動機のあいだで考えられる限りの相互作用=変容が展開される。
  最後の再現部では、究極的に2つのモティーフの調和=統合、融合がはかられる。
  ライトモティーフ対論は、結局のところ、2つの対峙する立場のあいだでしかおこなわれないので、主要動機は2つだけである。3つあるいは4つに見えても、結局2つの対立的なモティーフに収斂される。


  バロックのフーガでは、通奏低音やら支配的モティーフやらの基盤の上で、多様な旋律=動機が次々に展開するが、支配的な動機の優位ははじめから予定されているので、いわば予定調和的世界観のなかでいくつものモティーフが、相互の内的な連関性を吟味されることなく展開する。
  「神の意志」やその表出としての「宇宙の摂理」たるべきモティーフの優越は、はじめから与えられている。その超越性=神秘性は疑われ、批判されることはない。
  統一的な全体性を持つ構築物では、多数の要因が何となく寄せ集められ調和しているように見えるだけでは、実現されない……と、近代ヨーロッパの悟性と理性は言い立てるのだ。結局、対蹠的な2つの要素の対決、比較、相互作用によって吟味し、それらの背後にある内的な紐帯=文脈を探り出し、その論理において統合するしかないということになる。

  そもそも交響曲 Symphonie とは sym + phonos 、つまり統合され調和した全体となった( syn / sym )音響・音声( phonos )という意味だ。だから、ソナタ形式をつうじて多様な音声・音響をつくりだす組織=装置は、多様な楽器の音響を総括表現する管弦楽団ということになる。
  これに比べてきわめて単純なソナタは、2つの音声(声部)を生み出すことができる楽器によって演奏される。ピアノは両手で演奏すれば、低音部と高音部、主旋律と装飾部(副旋律)とを同時に奏でられるから、単体または連弾で。それ以外の楽器は、たとえばヴァイオリン・ソナタはヴァイオリンとピアノ(チェロやフルートでも同じ)との組み合わせということになる。

  というわけで、18世紀後半から末にかけて生成したソナタは、分解されて精妙に彫琢された小さな単位をしかるべき構成原理で組み立てて、統一的な全体を構築するのに適した方法である。
  というよりも、多様なものを神秘的で先験的な予定調和(原理)を想定して組み合わせていく方法の限界が批判され、何となく美しく快い音楽が解体された結果、生み出された方法ということなのだろう。
  したがって、盛期のベートーヴェンの音楽観、作曲法に最適な方法だった。というよりも、ベートーヴェンによって方法論的に完成された方法論だともいえる。
  見かけ上は多様なモティーフは、究極的に2つの対立的な大モティーフに収斂され、この2つの変形や発展形、調整が転換された形として説明され、配列される。ゆえにまた、主題の再現にあたっては、2つのモティーフの調和や融合によって、あらゆる要素が1つの全体=体系に収められることになる。

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