その頃から、ヨーロッパ世界では、世界貿易の組織力と運営能力で最優位に立つネーデルラント諸都市連合(ユトレヒト同盟)が覇権を握るようになった。そして、最有力の艦隊=海洋権力をもっていた。
とはいえ、ネーデルラント連邦はそれぞれ別個独立の主権をもついくつかの州=有力都市の同盟組織で、統一的な国家=政治体をなしていなかった。
海軍の組織にしても、それぞれの州=都市が単独別個に組織した艦隊の集合にすぎなかった。各州=都市の艦隊司令部(Admiralteit / admiralty)が、それぞれ別個に艦隊を指揮していた。
州の内部でも有力諸都市は分立・競争し合っていた。
国家意識とかナショナリズムが出現するのは、ずっと後の時代のことで、ネーデルラントの諸都市・商人は、独立闘争で敵対するエスパーニャと大っぴらに貿易し、武器や財貨、食料を売り渡していた。もちろん、しこたま利潤をあげていたのだが。
それゆえ、危険なライヴァルとして台頭してきたイングランド(ブリテン)の挑戦を抑えこむことができなかった。18世紀の半ばまでには、世界貿易と製造業での最優位を奪われてしまった。
もっとも、政治的には17世紀末の名誉革命でネーデルラント(ホラント)の君主オラニエ公がイングランドの王位についたので、両国(そして商人団体)は同盟していたのだが。
17世紀半ばから末までブリテンでは財政危機と革命の時代が続く。
結局、王個人あるいは王室という小さな財政組織が資金の借主となって国家装置の総体を財政的に支え運営するという仕組みは、限界にぶつかった。とりわけ軍事組織はそうだった。
革命の結果、議会が王に対して統治権力で優越して財政と課税権を握り、政府借り入れの保証者・担保者となる仕組みができ上がった。
議会(庶民院)は政府公債を発行し、特殊な商人団体企業としてのイングランド銀行に「通貨発券」(通貨資金の政権への引き渡し)という形で買い取ってもらい、借財(とりわけ戦費・軍事費)の返済を3年、5年という年月に繰り延べ分割する方法を編み出した。
これによって、中央政府は巨額の財政資金を運用できるようになり、18世紀をつうじて、とりわけ強力な海軍・艦隊を編成することができた。それはまた、造船業や冶金・機械製造の成長をめざましく促した。
18世紀後半に世界経済とヨーロッパの軍事力で最優位に立ったブリテンは、造船技術と軍事技術を飛躍的に革新して、空前の巨大な海洋権力を組織した。それは、ロンドンを中心にして世界各地を海洋航路で結びつける貿易ネットワークの形成に対応していた。
つまり、海運による通商を安全に運営するためには、艦隊の強化は不可欠の条件だった。
ところが、世界の海洋を航行する商業船舶が膨大な数に上るようになると、いちいちすべての艦船に重厚な武装を施すのはコスト管理の面からも不可能になっていった。