残念で皮肉なことに、これまでの資本主義的世界で「内需主導」で経済と国家を強くした国民は1つもない。世界経済とは権力構造であり、優位と劣位、支配と従属のヒエラルヒーにほかならない。
権力構造・支配構造としての資本主義的経済の成長のエンジン、そして国家の財政基盤の最大の土台は、軍事システムを不可分の要因とする世界貿易・世界金融だった。
しかるがゆえに、世界経済での覇権をめぐる諸国家の軍事的闘争は、必然的に、敵対国家の経済的再生産体系の破壊、つまりは補給・通商体制への打撃をめざすものとなった。
世界経済で流通する財貨の圧倒的部分は、船舶による輸送・海運によって担われていた。こうして、競争相手や敵対国家の通商への打撃の最大の手段は通商船舶の破壊や掠奪ということになった。
その傾向は、12世紀から始まり、ことに16世紀からは本格的・全面的になった。
各地の王権や領主権力と結びついた商業資本の支配による利潤獲得、資本蓄積の運動は、こうして、海陸での軍事力の展開と密接に結びついていた。とりわけ海洋権力は、遠距離貿易や世界貿易での優位をめぐる争いに不可欠だった。
世界経済・世界貿易での優位は、その地方や国家の富と権力の大きさを決定する要因だった。そして、そして世界経済のなかで諸国家の優位をめぐる競争・闘争においては、敵対・競争相手の貿易・海洋通商を妨害することは、自らの優位を得るための条件だった。
第2次世界戦争での英独艦隊戦は、この動きの線上にある。
だが、大型戦艦による決戦は、1940年代には「過去のもの」になりつつあった。
大口径主砲の射程距離の拡大は、より広範囲で正確な索敵能力を要求する。が、射程30kmを超えると、敵船影は水平線の彼方に消えてしまう。
レイダーとか、航空偵察や、さらに航空機動戦力による支援や援護が必要になり、やがて、空母主力の航空機動艦隊が海洋戦力、とくに攻撃力と防御力の中心となるのは不可避だった。
より遠い射程の追求は、さらにミサイル、ロケット、宇宙兵器(軍事衛星)の開発にまでいきついた。
そして破壊力においては核兵器が極点をなす。
フォン・クラウゼヴィッツが言うように、実際に生じた「戦争の本質的目的」は敵対者の攻撃力の破壊にある。だが、国家政策としての軍備や兵器の目的は、圧倒的な破壊力を誇示することで敵対者の攻撃(の意思決定)を抑止することにあるようだ。
そのために、軍備=兵器の破壊力はどこまでも際限なく進んできた。つまり、人類の絶滅を可能にする軍備や兵器こそが最大の抑止力を持つという、転倒した論理が支配するようになる。
こうしてもはや、大がかりな戦争は、人類の破滅、地球環境の大災厄に直結するようになった。
このような軍備によって手に入れ維持される繁栄や権力は、まさに人類全体の頭上につるされたダモクレスの剣なのだ。
以上のような考察の文脈において、海洋権力と海戦の歴史を含む戦史と軍事史は、人類の愚かさと「現状の資本主義」の破壊性を証明する科学でもある。
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