ボクは坊さん。 目次
四国巡礼路の寺の坊さんの物語
いつか坊さんになるだろう
住職になるということ
瑞円の遷化と剃髪
光円(進)の生い立ち
和尚になってみると
自分らしく住職を務めると
無力なボクにできること
長老の死去
逝く人に手向ける言葉
おススメのサイト
人生を省察する映画
サンジャックへの道
阿弥陀堂だより
アバウト・ア・ボーイ
のどかな信州の旅だより
信州まちあるき

住職になるということ

  ところが、人は自分の進む道を自分の意思だけで決めるわけではない。周囲の状況によって選択を迫られるのだ。
  ある日、寺に戻った瑞円は玄関で倒れ込んでしまった。病院に運び込まれて検査を受けると、末期の膵臓癌だった。瑞円は自分の人生の終末を病院のベッドに伏せながら迎えることになった。
  進は剃髪して僧侶になる決心をした。
  そして町役場に氏名変更の手続きに行った。
  戸籍の記載事項の変更である氏名変更は、めったに認められないものらしいが、僧侶となるのはそういう例外のひとつだという。ペンネイムとか俳号をつけるわけではなく、脱俗ということで、アイデンティティのよりどころとなる自分の本名そのものを変えるということだ。

  進は僧名を光円とした。それは祖父が進の誕生時に考えたものだった。
  その直後に病院に祖父を見舞い、やそほそった祖父の手を握りながら、跡継ぎとして栄福治の住職となると告げ、剃り上げた自分の頭をその手で撫でさせた。
  瑞円は心穏やかに旅立った――遷化した。高僧の死を遷化と呼ぶらしい。仏道の世界では、この宇宙にあって死は終わりではなく、生まれて生身の身体で生活する状態から別の状態への遷移変化なのだという。
  檀家会は幟や飾りをつくって盛大な野辺送りの儀式をおこなった。寺の近隣の山村の道を野辺送りの長い葬列が続いた。
  そのあとには、多くの寺院の住職やら真言宗など、業界としての葬儀と進の代襲の儀式が厳粛におこなわれた。


  寺の跡継ぎとなった光円は、真言宗に属す寺の住職になった。それはまた、四国巡礼札所の寺である。また近隣地区の寺院・僧侶との付き合いも世界に属すことでもあった。
  寺院は聖界の機関だが、俗世の業界団体を構成する経営組織でもある。その業界の動向を学びながら、仏教施設として。また地区の信徒・檀家団の心のよりどころとして、栄福治をどのように運営していくべきか悩み続けることになった。
  そのとっかかりは、寺の見栄えのディスプレイであった。そこにまず自分らしさを表現しようというのだ。
  光円はさっそく、お寺業界向けのカタログを広げて、自分らしいお寺の運営にふさわしいディスプレイを求めようとした。
  その結果、坊さん用品の営業マンに勧められるままに、40万円もする数珠を買ったり、寺の玄関に熊の彫像などが立ったりすることになった。
  業界としての仏教界と寺院もまた、どっぷり現代資本主義システムの網の目のなかに取り込まれているのだ。

  生業すなわち経済活動ないし経営活動のひとつの形態として寺院を営み檀家や信者に接するということは、俗世から離脱しておこなう密教修行とは質的に異なる世界らしい。
  ある日の檀家団の長老会でのこと。長老たちは、瑞円の葬儀に関して「噠噺たっしん」がどうのこうのと話し合っていた。長老たちは光円に意見を求めた。しかし彼は噠噺の意味がわからず、正直に「それは何ですか」と尋ねたのだった。
  噠噺とはここでは、僧に対するお礼として財物を施すことで、つまりはお布施だ。報謝のことでもある。信者が僧にお願いをすることとか、逆に僧が信者に法を説くことも意味するらしい。
  光円は高野山大学では真言密教の本質を学んできたので、世俗との交渉が絡むことがらは、寺の住職になってから経験的に学ぶものなのだという。

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