こうして離婚されてしまった京子は昏睡したままで、生まれたてのわが子に授乳など愛情を注ぐことはできない。そして、そんな赤ん坊の祖父は酒びたり。
とりあえず、光円は寺に一時的に乳児を引き取ってきて、傍らに置きながら自分に何ができるのかと悩む。大般若経を唱える勤行のなかで、光円は自分の心のなかの釈迦や空海に問いかける。「大切な人が悲惨な境遇にあるとき、ボクには何ができるのか」と。
そういう悩みや自分への問いかけをしながらの読誦こそ、本物の読経なのかもしれない。
そんな光円の姿を見た新居田は、住職としての仕事に真摯に取り組む姿勢を大いに評価したようだ。踝をかえして高台にある境内の端に行き、ベンチに腰かけて遠くを眺めていた。
勤行の後、光円は、境内の端で遥か彼方に目をやりながら物思いに耽る新井田を見つけて近寄り話しかけた。なぜ、なにをしにここに来ているのか」と。
長老の遥かな視線の先には、今治市街や海岸地区の丘、そして瀬戸内海など、広大な風景が展開していた。
新井田は答えた。
「この広大な風景の前では、自分はこの世のなかでほんの小さな、無力な存在であることがわかるんです。そんなことを、あらためて知るためにここに来るのですわ」と。
たぶん、新井田はおのれの無力さや微小さを自覚することで、諦め、投げやりになるのではなく、日常の小さな努力の大切さを自覚するために、ここにいるのだろう。
勤勉な農民である新井田は、毎日空を眺める。日照りが続けば、雨雲を乞うこともあろう。しかし、天候は思い通りにはならない。日々丹精を込めて田畑で耕作し草刈りをしたりして世話した農作物も、収穫を目の前にして台風などが来れば、台無しになってしまう。自分の無力さに挫けそうになっても、毎日できる小さな努力を続けるしかない。
小さく無力なひとりの人間にできることはごく僅かなことにすぎない。その僅かなことが、かけがえのない大切な意味を持つ、長老はそう言いたいのかもしれない。
そんなこともあって光円は、引き取り手のない京子の赤ん坊を預かることを決意する。日々の勤行や境内の清掃を赤ん坊とともに勤めることになった。縁日の日も、光円は赤ん坊をあやしながら、境内を見回るのだった。
ついには、その子を連れたまま真治のバーに行くようになった。すると、近隣の若いママたちが乳児を連れてバーに来るのが「流行」になってしまった。
しかも、赤ん坊をあやしながらカウンター席にいる光円に若い女性たちが話しかけてくるようになった。
「おい光円、赤ん坊をダシにするのはやめてくれよな。お前のせいで、赤ん坊連れの若い母親たちが何人もここに来るようになってしまったじゃないか」 と、真治は光円に言い放った。
若い住職が境内や演仏堂で赤ん坊を世話している姿は、若いママたちを栄福寺に呼び寄せた。演仏堂にはママ友が大勢集まるようになった。光円は、そういう若いママたちに彼らしい語り口の――仏道の教えを現代社会の生活に生かす試みとして――説法をするようになった。
そして、妻を亡くし、娘が昏睡に陥ったために酒びたりになっていた京子の父親が、酒をやめ、孫に会うため寺に通うようになった。光円の小さな決断と行動の積み重ねが、人びとの心を動かし、行動に影響をおよぼすようになったのだ。