ボクは坊さん。 目次
四国巡礼路の寺の坊さんの物語
いつか坊さんになるだろう
住職になるということ
瑞円の遷化と剃髪
光円(進)の生い立ち
和尚になってみると
自分らしく住職を務めると
無力なボクにできること
長老の死去
逝く人に手向ける言葉
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人生を省察する映画
サンジャックへの道
阿弥陀堂だより
アバウト・ア・ボーイ
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光円(進)の生い立ち

  白方進(後の光円)の生家は寺院だ。四国巡礼八十八箇所札所の一山、栄福治だ。愛媛県今治市にあるこの寺は57番目の札所だ。その跡継ぎとなるべく、進は僧侶となる修行をするために高野山大学で学んだ。
  山岳に囲まれた高野町にある真言宗の大学で、密教学の厳しい修行を積んだ。そして阿闍梨という位を得た。
  たぶん相当に厳しい修行だったはずだ。学生ではあっても、僧としての修行であって、真言密教といえば修験道というくらいに厳しい鍛錬だっただろう。
  進の言葉を借りれば、真言密教とは、自らの身体と心を研ぎ澄まして宇宙的な視野で正しい方向を探る方法論だという。
  阿闍梨または阿闍梨耶とはサンスクリット哲学のアーチャーリヤという地位で、仏教の世界では学と徳を積み、一般曹の模範・師範となるべき高僧だという。
  大学での勉学と修行の結果、阿闍梨の地位が得られるのだとすると、大学ではそれだけ厳しい修行を積んだということなのだろう。

  進はその大学で2人の同窓の徒――孝典と広太――出会い、親友となった。2人とも、やはり四国の寺院の跡継ぎらしい。3人は厳しい修行仲間となり、苦楽をともにする友人となったのだ。
  人里離れた修行の地ではあったが、3人は修行の傍らで一緒に近所の飲食店に行って酒を飲んだり、店の若い女の子に思慕したりして、青春の日々を送った。
  卒業後、3人のうち孝典は実家の寺に帰り副住職となった。大きな寺なので、僧が2人が必要だったから、ほかに選択の余地がなかったのか、僧としての修行が深かったのか。


  ところが、進と広太は僧職につく決心がつかずに企業に就職した。進は地元の書店に、広太は大都市の大きな企業に勤めた。
  髪を伸ばして書店に勤務していた進は、一般企業に就職した広太とときたま電話で語り合っていた。僧になる決心がつかないという同じ境遇をかこつ者どうしで、話しやすかったのだろう。

  進の生家、栄福寺では、祖父の瑞円が住職となっているが、進の父親は瑞円の跡継ぎにはならずに一般企業に勤めている。
  そういうしだいで、進が誕生すると家族や檀家から寺の跡継ぎとして期待されることになった。瑞円は、進が生まれると、光円という僧名を考えたくらいだ。
  幼い頃、進は祖父に「人間って死んだら何にもなくなっちゃうの?」と尋ねた。
  瑞円は「そういうことが気になるんか。そしたら坊さんになれ」と喜んで、進が跡継ぎになることを期待した。
  そんな進だから、大学卒業までは何の疑問も持たずに過ごした。だが、卒業してから、このまま寺の跡継ぎになることについては、心に迷いがあったようだ。進は直感型の性格なのだが、真剣かつ論理的にものを考えるところもあって、僧になるについての「心のあり方」について答えが見いだせなかったかもしれない。

  しかし、瑞円が病に倒れると、すぐに寺の跡継ぎとなる決心をし、瑞円が考えていた僧名に変えた。
  剃髪して病院に祖父を見舞い寺の跡継ぎになることを告げた翌日、安堵したのか瑞円は息を引き取った。その祖父の遺言は「起きるを生と名付け、帰るを死と称す」だった。仏道では、生命またはヒトという生物の生存を、この宇宙での物質あるいは精神の特殊な状態と見るのかもしれない。

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