そんな光円の様子を見守っている新井田は、光円の母親に何事かを告げた。母親はうれしそうな笑顔になった。
ところがある日、真治が寺に光円を訪ねてきた。自分の深く切実な悩みを告げ、幼なじみの友に深刻な問いかけをぶつけるためだった。
「俺は病院に行ってきた。 京子を見舞い行ったんだが、病室に入るのを少し待たされた。
あんな状態でも京子は胸から乳を出していて、看護師たちはそれを拭き取っているんだ。意識がないのに、生き物としての京子は『母親』の役割を果たそうとしているんだ。
あんな姿を見たら、もうこの後、俺は京子を見舞いにいくことはできない。悲しすぎる!
俺たちにとって京子は本当に生きていると言えるのか?」
光円は「密教に、生き物はみな深いところで結びついているという教えがある。ボクはそれを信じたい。
京子との関係は、今までと何も変わっていないと思える」と答える。
しかし、真治に「本心でそう思っているのか」と問われ、何も答えることができなかった。
本当は光円もまたおのれの無力感に打ちのめされそうになっているのだ。そんな状況のなかでも、仏道や密教の教えの言葉を支えにして、悩み続け、自分にできる小さなことをやり続けてきたのだ。
そして自分の無力さを改めて痛感した光円は、苦悩のあまり心が折れて倒れ込んでしまう。
そんなとき、光円の元に新井田老人の訃報が飛びこんできた。
檀家の長老の死に際して栄福寺の住職としただちに枕経をするために、行かなければならない。しかし、光円は自分の無力さの重い自覚に打ちのめされていて、床から起き上がれなかった。
祖母は、親密な寺院に枕経の代行を頼むよう手配した。