ボクは坊さん。 目次
四国巡礼路の寺の坊さんの物語
いつか、坊さんになるだろう
住職になるということ
瑞円の遷化と剃髪
光円(進)の生い立ち
和尚になってみると
自分らしく住職を務めると
無力なボクにできること
長老の死去
逝く人に手向ける言葉
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四国巡礼路の寺の坊さんの物語

  仏教の道を究めて実践する方法としては、僧職に就くだけではないだろう。市井に生きてごく一般的な職業に携わってもいいのではなかろうか。けれども、僧侶となるならば、それなりの生き様――思考スタイルや行動スタイル――の自己決定や覚悟が必要になるのかもしれない。
  では、世過ぎ身過ぎ――生計を営む職業――のひとつの形態でもある僧職とほかの職業との質的な違いは何だろうか。そして、ほかならぬ自分が僧職を営むうえで自分らしさやアイデンティティとは何だろうか。
  僧侶となった自分がなすべきことは何だろうか。
  そんな悩みや問いを胸に祖父の後を継いで、四国の巡礼路にある寺の僧侶となった若者の試行錯誤の日々を描いた作品が、『ボクは坊さん』(2015年作品)だ。

  原作は、白川密成著『ボクは坊さん。』、2010年、ミシマ社刊。これはもともと『ほぼ日刊イトイ新聞』に連載された随筆、『坊さん。 57番札所24歳住職7転8起の日々。』を単行本化した書籍。

いつか、坊さんになるだろう

  冒頭シーンは早朝の勤行。
  祖父の瑞円が読経と礼拝を始める。端然とした立ち振る舞い。そして、札所である栄福寺には、朝から四国巡礼路八十八箇札所めぐりのお遍路さんたちがやって来る。お遍路さんたちは、弘法大師空海ゆかりの地を訪ねて回る。札所参詣の記録として帳面に押印と筆書きを施すのだ。
  しばらくして、今年24歳になった進が起床し食事や支度をしてからスクーターに乗って街の書店に出勤する。
  進はやはり高野山大学での厳しい修行を経て阿闍梨の位を得ただけに、行住坐臥、居住まいは端正だ。 書店での仕事が始まる。初夏の書籍のほこりをハタキで払う。本の並びを整え、スリップや腰巻帯を確認し、直す。書店のごく普通の業務だ。

  ひととおり準備をしてから進は会計場に立つ。するとそこに、幼なじみの二人が現れた。ひとりは、越智京子。スタイル抜群の美女。もうひとりは、桧垣真治だ。
  二人とも進むに問いかける。詰問といってもいい。
  「僧侶としての修行を終えて帰ってきたのに、お前が普通の書店員になるとは思わなかった。いつになったら坊さんになるのか」と。
  少しうんざりした顔つきで進は答える。
  「仏道の修行は、普通の市井人として俗世に暮らしてもできるものなんだ……」とまずは一般論というか公式見解。
  そんな答えで納得しない京子と真治はさらに問い詰める。
  「坊さんになる気はあるのか。子どものときから、寺の跡継ぎのお前を『和尚』と呼んできたのに。俺にとって、今のお前はお前ではない」と迫る。
  「いつかなるんじゃない。なると思うよ」と少し退いた答えをする進。

  その頃、祖父の瑞円もまた、田んぼのなかの道で檀家会(信徒団)の長老から、「進を寺の跡継ぎにするのかどうか」尋ねられていた。
  「お大師様は、同じ年に修行として回国の旅枕を志していたのに、進ときたら……」と長老は嘆息する。
  「おや、ご長老はうちの進を弘法大師様と同列に並べるのですか。次元が違います」と瑞円は答えを返した。
  「進が栄福治の住職としてふさわしくないというなら、どこか別のところからご住職を迎えてもいいんじゃよ」と長老。
  「ご長老のあなたからそう言って唱導してもらえば、そういう運びにもなるじゃろう。お願いします」といなす瑞円。

  瑞円も若い頃、僧侶になる前、学校の教師をしていたという。
  瑞円は孫に、若き日の弘法大師空海がそうだったように、自分の思う道にまっしぐらに進む生き方を望んでいるようだ。その結果、僧侶になれば一番ありがたい、と。

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