連邦(全国)大会でもジャマールは、コ-プランドとともに活躍を続けた。
たまたまこの試合を観戦したクローフォードは、自分のクラスでも優れた成績を取り、バスケットボールでも卓越した能力を示すこの少年を嫉視するようになった。
とりわけ文章技術=作文で飛躍的な進歩を見せていることについては、剽窃をしているのではないかと疑うようになった――成長や才能をみとめたくなかった。執拗な「あら捜し」を始めた。そして、授業の終わりに呼び出し、「君の進歩は飛躍的だが、そのことは逆に不審を抱かせる。誰かの文章の剽窃をしているのじゃないかね」と圧迫を加えた。
ジャマールは圧迫感をフォレスターに告げた。若いジャマールには、優れた文章家になろうとする野心があったから、指導者が生徒の足を引っ張ることに強い憤懣を抱いていた。
一方、フォレスターは老境にあって、人生の黄昏を迎えていた。栄達や成功をめざし焦る心は、とうの昔に克服し、いや忘れてしまった。そして、ジャマールの資質と努力を高く評価し、将来の成長に大きな期待を寄せていた。
「料簡の狭い者は、自分の理解を超えるものの存在を認めず、排除しようとする。そうやって、自分の居心地がいい通り一遍の権威を押し通そうとする」と言った。だが、他方で、「君の反発は理解できるが、慎重に振る舞うこと。つけ入る隙を与えてはならん」とアドヴァイスした。
それでも、ジャマールはクローフォードへの反発心が収まらなかった。そこで、クローフォードが審査を主催する「作文コンペティション」に、フォレスターの部屋で書いたエッセイ、「信義を全うする時季」を提出した。
ところが、ジャマールの剽窃を疑いあら捜しを執拗に続けるクローフォードは、これと同じ題名のエッセイが「ニューヨーカー」のバックナンバーに掲載されていることを突き止めた。攻撃の材料を得たりとばかりに、クローフォードはジャマールを呼びつけて雑誌を見せて、「剽窃したことについて謝罪文を書いて、提出作品を撤回しなさい。さもなければ、理事会に告発する」と迫った。
ジャマールは、内容は完全なオリジナルだと言って拒否した。
というのは、内容的には、作者のフォレスターの了解を得て、彼の助言のもとでオリジナルとして書き上げた作品だから、何の問題もない、だから不当な非難に屈することはないと思ったからだ。しかし、フォレスターの所在を他人に打ち明けないという約束を守るために、一切弁解はしなかった。
しかし、放課後、ジャマールはフォレスターを訪ねて、助けを求めた。高校に出向いて事実を説明してくれ、と。だが、フォレスターは、あの文章は持ち出しを禁じたはずじゃないか、と言って、人前に出ることを拒否した。
クローフォードは、ジャマールの「落ち度」を理事会に報告し、厳しい審査と罰を求めた。 というわけで、ジャマールは高校での立場がきわめて悪くなった。
だが、理事会は一方でジャマールの多くの科目での卓越した成績を認めている上に、バスケットボールではメイラー高校のティームを連邦大会の決勝にまで進めた力を大いに評価し、利用価値があると見ていた。そこで、作文コンテストでの「落ち度」には目をつぶり、いまは学業での活躍よりも、バスケットボールでの活躍を期待する、という態度で臨んだ。
これは、メイラーでのジャマールの存在余地を認めるけれども、学校の名誉のための「道具」として位置づけるという、すぐれてご都合主義的な結論だった。
いずれにも反発したジャマールは、孤独な戦いを挑むことにした。
この状況設定は絵に描いたような極限的なもので、舞台劇を見るようですごい。ジャマールの精神の自立・自由を求める姿勢がすばらしい――無謀ともいえるが。絶望的な窮地に追い込まれても、友情と信義のために約束を守り抜く態度。そして、学校の対外的な名誉のための道具として利用されることへの拒否――それが自分をいよいよ抜き差しならない窮地に追い込むとしても譲らない姿勢!