この場面で、なかなかいいじゃないか、と思わせる会話がある。
フォレスター :「テレヴィで見ていたんだが、あのフリースロー、わざと外したんだろう?」
ジャマール :「まあね。…」と、はっきり肯定はしないが、認めた。
このごく短い会話のなかに――相手を深く理解し合う互いの信頼と尊敬、友情など――万感が込められている。
あのとき、ジャマールはクローフォードに作文では剽窃だと告発されて追い詰められ、さらに学校側はジャマールをバスケットで活躍させて高校を宣伝する道具のように扱った。それでも、ジャマールは自己の尊厳と独立を捨てなかった。「ただの道具」扱いを拒否するという態度の表明が、あのフリースローの意図的な失敗だった。
「『冤罪』で追い詰められ、ティームの勝利に貢献できなかったぼくにどう対応するんだ?!」と逆に学校側に問いを投げ返したのだ。たとい退学処分となるとしても、この真摯な問いを発したかったのだろう。
ただのサクセスストーリーではないんだな。
さて、それから2年。
ジャマールは、すでにプロの文章家になっていた。成績は抜群で、毎日、有名大学のスカウトが彼を訪れていた。
ある日、若いビズネスマン風の青年がジャマールに会いに来た。
ジャマールは、応接室で待つその青年と向かい合った。ジャマールは、またどこかの大学が勧誘に来たのだと思った。だが、青年は、ウィリアム・フォレスターの顧問弁護士だと自己紹介した。
ジャマールは、相手が弁護士だと聞いて、将来法律家になろうと思うと言った。
「それなら、私のいる法律事務所はいかがかな。いや、きみなら、アメリカ中の法律事務所がスカウトに来るだろうな。
・・・さて、ここを訪れた用件ですが、じつは、フォレスター氏が死去しました。その遺言で、あなたあての書簡と彼からあなたに送られた遺産関係の書類を届けに来たのです」
弁護士は用件を伝えた。
ジャマールは衝撃を受けた。で、訪ねた。
「死因は?」
「末期癌でした。もう何年も前から…。でも、あなたのおかげで、死ぬ前に、最後の課題に挑戦して達成することができたと喜んでいました。それが、ご存知のとおり、この著書で、最後の小説(遺作)です」
弁護士はそう言って、ジャマールに1冊のハードカヴァーを渡した。著書には、序文がつけられていた。書き手のサインは「ジャマール」だった。
そして、フォレスターはジャマールに、あのバスケットボール・パークに面した共同住宅の部屋のなかの一切をジャマールに贈ると遺言したのだった。
ある日、ジャマールは弁護士から受け取った鍵でドアを開けて部屋に入ってみた。ジャマールは母と兄をともなっていた。
ジャマールは窓からあの空き地を見下ろした。
メイラー高校で追い詰められたあのとき、孤立感をいやというほど感じたジャマールは、以前の仲間たちがパークコートでバスケットボールを楽しむのを見つめていた。だが、エリート高校に転校したジャマールと以前の仲間たちのあいだには、深い溝ができていたかに見えた。
そのとき、ジャマールは「自分の根っこ」、つまりは社会的な存在基盤――原点または足許――を見つめ直したようだ。生まれた街、育った街、いっしょに育った仲間との絆を失ってはならない、と。
そのときは以前のように仲間に戻りたいが、戻れそうにない、という寂寥を抱いていたジャマールと仲間たちがそのあとどうなったかを示すシーンが、エンディングだ。
フォレスターの住んでいた部屋から見下ろせる、あのバスケットコートで、ジャマールが1人プレイしている。すると、どこからか仲間が1人、2人、3人と集まってきて、やがてゲイムが始まる。そして、また1人、2人…と去っていき、ジャマール1人が残る。そのジャマールもコートを去っていく。
誰もいない広場。フォレスターの部屋。カメラは退いて街並みを俯瞰するシーンに。 このシークェンスで流れるエンディング・ミュージックがすばらしい。
Somewhere Over The Rainbow / What A Wonderful World (「虹の彼方のどこかに」と「何て素晴らしいこの世界」をつなげたイズレアル・カマカウィーウォーレの作品)
ハワイアン・ミュージック風に編曲され、軽快で穏やかなウクレレに乗って優しい歌声が流れる。私としては、これまで聞いた「オーヴァー・ザ・レインボウ」のなかで一番心に沁みた。
この映画のなかで一番印象に残った言葉を書いておく。 フォレスターがジャマールに文章作成の方法を指導するところで、吐いたセリフ。心に思いつくままにキーボードを叩いて作り上げた第一稿、そして次の推敲について、フォレスターが独り言のように解説する。
「この最初の草稿こそ、読者や編集者、批評家のためではなく、自分自身のために書いた文章だ。それを読む、これこそ何ものにも代えがたい、無上の楽しみだ。
そして、推敲では、その文章を跡形もないくらいに切り刻んで、組み立てなおす。これも捨てがたい楽しみだ。なにしろ、口に猛毒を含んだ批評家(の評論)によって、ズタズタに引き裂かれるよりも先に、自分で文章をなで斬りにするんだから、こんな楽しみはないさ。ざまあみろだ」
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