マークがドイツ人収容をめぐって不公正だと憤っている相手は、地元の有力者、ヘンリー・グローブズ・ボーモントの妻グレータのあつかいだった。ボーモントは大富豪の準貴族の家系だった。ヘンリーはその富と地位を土台にヘイスティングズの治安判事を務めていた。
マークは兵役に就く以前は、この富豪の家の使用人だったらしい。だから、ボーモント家の内情を知っているのだ。そして、ヘンリー・ボーモントの二度目の妻、グレータがズデーテン地方出身のドイツ人であることを知っていた。
ところが、グレータは敵性国民として隔離収容されずにヘンリーの妻として邸宅で自由に暮らし、近隣の田野で乗馬したり、街に出歩いたりしていた。マークは、ヘンリーが治安判事でありロンドンのエリートたちと結びついているために、グレータを収容から免れさせているのだと考えていた。
そのためマークは、叔父のクラマー夫妻が収容隔離されてから、ヘンリーにかけ合って叔父夫妻を収容所から解放されるようにはからってくれと頼みこんでいた。だが、ヘンリーはにべもなく断ったのだ。
ヘンリー・ボーモントは前妻の死後、ボヘミア旅行をしたことがあった。そのとき、ボヘミアの大学に通っていた美貌の若い女性、グレータと知り合い恋に落ち、イングランドに連れ帰って結婚した。当時、ドイツ語圏で大学で学べるのはすこぶる富裕な階級家門の者だけだったから、グレータはかなり有力または特権的な階層に属していたことになる。
ところがその後、まもなくドイツとブリテンとの戦争が始まった。ズデーテン出身のドイツ人であるグレータは普通なら収容所に隔離されることになるはずだ。しかし、グレータは自宅に暮らし自由に出歩くことができる。なぜか。
ところで、海岸から8マイル以内に住むドイツ語圏の出身者を収容隔離するに際しては、人道上ならびに政治的な観点からいくつかの留保や例外が認められていた。
たとえば慢性的な疾患で居宅での静養・療養が必要だと認められる場合。また、ナチス政権による弾圧や迫害の被害者としてブリテン政府から――ナチスに敵対的な――政治的亡命者であるとして庇護の必要を認められた場合。だが、クラマー夫妻のように、ナチスによる迫害から逃れるためにブリテンに移住してきても、政府から政治的亡命と認められない場合の方が多かった。
このような条件を満たしていても、海岸近くに住むドイツ人を収容隔離から免れさせるためには、煩雑な手続きとブリテン当局による厳格な審査を潜り抜けなければならなかった。多くの場合、収容を逃れるためには、海岸線から遠く離れた地方への転居しなければならなかった。
というのは、当時、Uボートでブリテンに近づいて、ブリテン諸島の入り組んだ地形の海岸線から国内に潜入するスパイがじつに多かったからで、彼らの潜入の成功は海岸近くに住む者の協力に助けられていたからだ。
ヘンリー・ボーモントはヘイスティングズ地方の富裕な支配層としての特権や権力を使って手続きを取って、グレータが上記のような条件を備えていることを当局に認めさせたのだ。
マーク・アンドリュウズは薄々そのことに気づいていたため、ヘンリーにクラマー夫妻の救出を頼み込んだのだ。だが、収容の免除は、ナチス政権やドイツ軍に関する機密情報を握っているとか、明らかな迫害を経験したためブリテン政府に亡命を申請して移住してきた経過が公文書に記録された者だけにしか認められない特権だった。
したがって通常ならば、ドイツの有力な家系の子女で結婚にともなってブリテンに移住してきたグレータに、収容の免除特権が認められるはずはなかった。
ところが、並の貴族よりも大きな資産や影響力を持つヘンリー・ボーモントは、エリート階級=身分としての人脈や特権、あるいは金を利用して、グレータの「自由」を手に入れたのだ。第2次世界戦争中は、ブリテンは下層民衆や女性の政治参加が認められていない、階級格差が著しく身分差別が色濃く残る社会だったのだ。そういうレジームを骨格として、一般市民に欠乏や不自由への忍従を強いる戦時統制の体制を敷いていたのだ。
ドラマ『刑事フォイル』は、そのようなブリテン社会の仕組みを鮮やかに描き出す。とはいえ、そういう政治的・社会的背景を読み取るためには、1つのシーン、1つのセリフも見逃すことは許されない。もちろん、犯罪をめぐる謎解きの筋立てだけを理解できればいいというのであれば、それほどの注意力は必要がない。
けれども、私のように社会史や社会学の視点から映像を史料として読み解きたい者にとっては、あるいは映画やドラマの脚本とか時代考証を学びたい向きには、この高密度のドラマは「宝の山」なのだ。一瞬一瞬のシーン、セリフが放つ閃光を見逃すわけにはいかない。