フォイルがグレータをめぐって捜査を進めるうちに、ヘンリー・ボーモントがエリートとしての人脈や権威、富を使って妻の収容回避を画策してきた経緯が浮上してきた。
そんなある日、ロンドンの警視庁を訪れたフォイルを上司の警視監が呼んで話を始めた。
その内容は、これまでフォイルの転属願を何度も却下してきたが、このたびその転属が破格の厚遇で認められそうな具合だということだった。だから、ふたたび転属願を出してみたらどうかというのだ。
だが、フォイルは断った。
「殺人事件の捜査を進めているので、当面、ヘイスティングズ署から離れるわけにはいかなくなりました」と。
ヘンリーの不正な裏工作を探り出そうとしているフォイルを異動させて、事実を隠蔽しようというヘンリーに親密なエリートたちの画策だった。
しばらく後になって、その警視監が敵性国民収容委員会の幹部で、ヘンリーの頼みを受けてグレータの収容を免除する決定を下した張本人であることが判明する。そのとき、フォイルは暗に警視監の情実不正行為を非難することになる。
戦時体制下でのエリートの専横や横暴を何よりも嫌うフォイルの反骨気質を物語る経緯だ。
フォイルは、キーガンの「兵役逃れ汚職事件」にジャッドが関与しているという供述をもとに、ジャッドとその周囲を執拗に調べて回った。そして、ジャッドがいくつも後ろ暗い不正に手を染めている状況証拠を集めた。そのなかには、ジャッドがマイケル・ターナーから宿賃としては法外な大金を受け取っていることも含まれていた。
ジャッドはどうやらマイケルに密会情事の場所を提供していて、その口止め料として大金を毟り取っていることをつかんだ。
フォイルがその点についてジャッドに問いただすと、
「じつは、マイケル・ターナーは、爆死したトゥレイシーとときおり密会しているんだ。で、その口止め料も含めて大金を受け取ってきた」と返答した。
だが、フォイルはトゥレイシーには婚約した若者がいて、その若者が兵役から戻ったら結婚する予定であることを知った。地道に結婚資金を蓄えるためにジャッドのパブで働いていた娘が、そんな「ふしだら」をするはずがないことわかった。
してみれば、ジャッドはトゥレイシーが爆死したので、刑事に知られてはまずいマイケルの情事の相手を隠すために嘘をついたことになる。
というわけで、ジャッドには怪しげなところが少なからずある。だが、兵役逃れ事件も含めて、証拠となるような事実や証言を得ることはできなかった。
ところが、ある真夜中にジャッドが何者かに車にひき殺されたのだ。
夜が明けてからジャッドの死体が発見され、はじめのうちは死因が不明だった。だが、何か大きな物体がぶつかって強い衝撃を受け、飛ばされて絶命したらしい。考えられる死因は、自動車に跳ね飛ばされたことだ。
ジャッドが最近、警察に目をつけられていて、フォイルによって連日尋問を受けていた。となれば、ジャッドが何か話すことを恐れた者が彼を殺した可能性が強い。
当時、ヘイスティングズのような小さな町では自動車の数はそれほど多くなかったから、町と近隣の自動車を調べることもさほど難しくない。もちろん、遠くから来た自動車がひき逃げした可能性もあるだろう。
ジャッドの死によって兵役逃れ事件の捜査が行き詰まったため、フォイルはグレータ殺人事件の捜査のためにボーモント家を訪れ、サラと話をした。
サラによると、グレータは半年ほど前にロンドンに出かけて、ボーモント家の顧問弁護士マイケル・ターナーの事務所に立ち寄り、自分の財産管理の問題を相談したという。その後、何度かマイケルの事務所を訪ね、やがてグレータの紹介でサラはマイケルと知り合い、恋に落ち婚約したのだという。マイケルは、サラの婚約者として頻繁にボーモント家を訪れているようだ。
話をした場所は車庫の傍らで、車庫のなかも見せてもらうことにした。すると、土汚れのタイヤ痕から最近、サラの父親、ヘンリーの自動車が外出して戻ったことが見て取れた。しかも自動車の右前部が変形していた。強い衝撃を受けたらしい。人をはねた可能性もある。
ヘンリーに尋ねると、このところ自動車の運転はしていないという。サラは運転できない。すると、この館に出入りする者で、車庫に自動車があることを知っていて、自動車を運転できるのはマイケル・ターナーだけだ。すると、マイケルがジャッドの口を封じるためにひき殺したのだろうか。