ナチス・ドイツが占領支配するフランスの北部海岸は、ドーヴァー海峡を挟んでヘイスティングズの町の目の前の対岸にあった。まさに一衣帯水なのだ。その住民にとって、ドイツ軍に対抗警戒するためにブリテン海軍の戦闘艦艇が目の前の海峡を航行遊弋するのは、いわば日常茶飯事だった。戦争の脅威は目前に迫る切実なものだった。
それゆえ、住民のドイツ系の移住者に対して反感や猜疑心もひときわ強かったようだ。そういうしだいで、この町でも腕に腕章を巻いた「国防市民軍」の防衛協力委員が一帯を見回って、怪しげな人物、ことにドイツ語を話す外国人を探し出そうとしていた。
収容所に隔離されたクラマー夫妻は、そんな委員のひとり、スティーヴンズによって通報・密告された人びとだった。
そんなところにドイツ空軍機による爆弾の投下が大変な災禍をもたらした。ただし、1940年5月という時点で、こういう事件があったのかどうかはわからない。ドイツ空軍によるブリテン空爆が始まるのは7月以降なので、もしかしたら脚色かもしれない。
あるいは、そういう事件が偶発的に起きたのかもしれない。グーグル地図でヘイスティングズの位置を確かめていただくとわかるが、北海からドーヴァーにいたる海域でブリテン艦艇を哨戒爆撃する任務を帯びたドイツ軍双発機がたまたま防空力の空隙となったヘイスティングズ上空を通過して、帰投するために爆弾を捨てたという事態も考えられる。
ある日中、ドイツの大型長距離航空機がヘイスティングズの街中に爆弾を投下した。作戦行動によるものというよりは、どうやら――重量が増えるので通常はありえないが――単独偵察で飛来した双発機が1つだけ爆弾を積んでいて、荷を軽くするためにその爆弾を街の上で捨てたということらしい。
飛行編隊でロンドンなどの主要都市の空爆に飛来した爆撃機が帰りの荷重を軽くするために、いたるところに爆弾を投下して周辺の田舎町が破壊されるという事件は、この年の8月以降、数多く発生したようだ。
いずれにせよ、バトゥル・オヴ・ブリテン――ブリテン島をめぐる英独の空の攻防戦――はすでに始まっていたということだ。
ドイツ機が投下した爆弾は市街中心部のパブの倉庫に命中して、激しい爆発と火災を起こして死者が出た。
被害者は、近所に住む17歳の少女、トゥレイシー・スティーヴンズだった。彼女は未成年だったが、近く徴兵されて戦場に赴くことになる婚約者=ボーイフレンドとの結婚に備えて資金を蓄えるために、パブで働いていたのだ。
パブで宿屋の亭主、イアン・ジャッドはそのとき、公務員が絡んだ兵役逃れ事件を捜査しているフォイルの質問を受けていた。トゥレイシーにその話を聞かれないように、彼女を倉庫に酒を取りに行かせたところだった。運悪く、まさにそのときに双発機が飛来して爆弾を投下したのだ。
爆裂による爆風は周辺を飲み込み、フォイルも風圧を受けて倒されてしまった。そして、フォイルが起き上がるときには、近隣の住民の騒ぎによって、倉庫の爆発炎上と少女の死という結果が知らされた。
兵役逃れ事件に絡んでいるジャッドは、執拗なフォイルの質問を封じて追い出すために、少女の爆死を巧妙に利用した。「あんたの取り調べを受けるために、あの娘を倉庫に行かせたんだぞ。あんたのせいでトゥレイシーは死んだんだ。もう、出て行ってくれ!」と。
ドイツ軍機による爆弾投下で住民が殺され倉庫が黒焦げになったことで、近隣住民の反ドイツ感情が一挙に高まり、ドイツ出身者に対する反感が強まっていた。
ヘンリー・ボーモントに叔父叔母のクラマー夫妻の拘束免除を頼み込んだが高圧的に拒否された若者、マーク・アンドリュウズもまた、ドイツ人に対する敵愾心を燃え上がらせていた。
マークの激しい憤りはもっぱらヘンリーの後妻、グレータに向けられた。彼は密かにグレータの日々の動きを追跡して、特権的に収容を逃れていることを告発しようとした。
ドイツ人のグレータに対してあからさまに反感や嫌悪を示すのは、マークにとどまらなかった。ヘイスティングズの住民の多くは、グレータが収容されもせずに堂々と街で買い物をし、田野を馬で駆け巡る姿をいまいまし気に見つめていた。そこには、エスクワイアとしての地位と特権をこれ見よがしに誇示し、治安判事として住民たちを威圧してきたヘンリー・ボーモントに対する憤懣が込められていたようだ。
おりしもそんなときに、グレータが惨殺された。警視正のフォイルは、巡査部長のポール・ミルナーならびに専属運転手兼助手のサマンサ・ステュアートとともに捜査を開始することになった。