9月のある夕方、勤務を終えたサマンサは自転車で下宿先に帰宅した。建物のなかからはベートーヴェンのピアノソナタ「月光」が響いてきた。
ピアノを弾いていたのは、ハリスン夫人の家に間借りしているジェニー・ウェントワースだった。彼女はサマンサよりも1歳年上の23歳で、救護隊の救急車の運転手をしている。
サマンサがドア越しに演奏を「素敵ね」とほめると、「でも、ハリスン夫人はベートヴェンは敵国ドイツの作曲家だと言っていやがるのよ」という返答が返ってきた。
その深夜、ドイツ空軍の爆撃機がヘイスティングズの街に爆弾を投下した。爆弾はハリスン夫人宅の玄関を直撃した。
そのとき、空襲警報と爆音で飛び起きたジェニーが玄関のドアを開けようとしていた。小型の割に爆発力の大きな新型爆弾は、ジェニーを吹き飛ばした。救護班の手当てもむなしく、ジェニーは蘇生しなかった。
昼間の疲れでベッドから抜け出せずにいたサマンサは、逃げ遅れて部屋のなかにいたため、爆風の直撃を受けずに済んだ。ドアと壁が爆風を受け止め、破壊されたが、サマンサはケガをしなかったのだ。しかし、居宅は大半が焼けてしまった。
この爆撃はドイツ空軍の正規の作戦ではなく、爆撃機がロンドン空爆を終えて旋回してフランスまたはベルギーの基地に戻るために機体を軽くしようとして、残った爆弾を落としたのだろう。そうしないと、爆撃機は重量が重いままで、帰投の燃料が足りなくなるからだ。
ブリテン南東部の諸都市は、ドイツ爆撃機が帰投のために捨てた爆弾による被害を頻繁に受けていたのだ。
翌日の朝、出勤途中のフォイルはヘイスティングズの司法機関の合同庁舎前で、旧友で裁判官のアーサー・ルイスと出会った。フォイルを呼び止めたアーサーは、フォイルをその日の晩餐会に誘った。
そのディナーは、アメリカの軍事援助協定の交渉のために訪英している大統領補佐官、ハワード・ペイジを歓迎するためのもので、アーサーはフォイルをこの街の名士の一人として参加を求めたのだ。
アーサー・ルイスはイングランドの司法界の有力者で、今や空爆の標的となっているロンドンからヘイスティングズに疎開していた。そして、オクスフォードの同じ学寮出身者ということでチャーチル内閣の意向を受けて、ハワードを晩餐会に招待し、ブリテンの窮地を訴えて説得しようとしているようだ。
おりしも、アーサーの妻、エリザベスもやって来て、フォイルとの再会を喜んだこともあって、フォイルは招待を受けることになった。
フォイルはブリテンのエリート階級のメンバーの知り合いが何人かいるらしい。スコットランドヤードの警視正ともなれば職能的にはエリート階級に属すことになるから、当たり前だ。だが、当時は出身家系・家門が友人付き合いの尺度になっていたから、珍しい現象だったのだが。
フォイルはよほどに優秀・有能だったのだろう。エリートのなかでも他人の能力や実績を鷹揚に認める者たちは、身分差の壁を越えてフォイルを友としたのだろう。