イタリア戦争とヨーロッパ 目次
ヨーロッパの地政学的構造の転換
君侯や領主たち
遠距離商業と都市の権力
「南の極」と「北の極」
都市支配型の経済から国家支配型の経済へ
都市を凌駕する王権国家
王室財政と都市=商業資本
イタリアの悲劇
イタリアの地政学
神聖ローマ帝国
都市国家群
教皇派と皇帝派の対立
地中海世界
イタリア社会の臨界点
異端運動と宗派紛争
国家の権力と教会の権威と
知識人専門家の登壇

遠距離商業と都市の権力

  これに対して都市の権力は、そのおよぶ空間的広がりも大きく、また内部的な経済力や結集力(凝集)もけた違いに大きかった。
  ヨーロッパの遠距離貿易は、遍歴する商人たちの通商活動によって形成され発展した。やがて商人たちは、都市に定住して交易拠点を築き上げるとともに勢いを増し、獲得・蓄積した富を土台に、都市内の統治権や裁判権、市場開設・統制権を手に入れ、そしてついには課税権まで、都市領主としての聖職者や周囲の領主から獲得していった。
  有力商人層は門閥を形成して結集し(ときには競争・対抗し合いながら)、都市の政庁となる団体を組織し、固有の法を持ち武装した。こうして都市は統治団体として独立の政治的・軍事的単位にまで成長した。
  その頃、都市域内や所領内での商業(工房の設立や運営も含む)は、その統治者から恩典として認められた身分的特権だった。この特権は統治者へのなにがしかの運上金・賦課金の支払いと引き換えに認められるもので、いわば金で買い取った特権だった。
  商品や貨幣の輸送もまた、海上や河川、陸上路を安全に通行するための税を支払っていた。とりわけ内陸は、多数の領主圏や都市の関税圏によって分断されていて、安全に通行するためには税を支払う必要があった。
  ゆえに、交易ネットワークは、通行=物流と保管、そして購入・販売に関する特権を各地の支配者たちから買収することによって、組織化・形成されたのだ。

  各都市の商人団体は、ヨーロッパ各地の君侯・領主たちや都市とのあいだで、税や賦課金などと引き換えに通商特権――商取引の自由権、通行や居住の自由権、関税の減免など――を獲得した。
  ことに財政基盤の貧弱な君侯や領主にとっては、都市や商人団体の差し出す資金を手に入れることは、権力・権威の保持にとって決定的に重要だった。

  もちろん、王や領主はその権勢をかさに商人たちの財産を没収したり、商業活動を妨害することもできた。
  しかし、ヨーロッパ中で何百もの君侯領主たちがひしめき合って生き残り競争をしていたのだ。ある領主が正当な理由もなく商人たちを迫害すれば、彼らは領主の近隣の競争相手・敵対者に取り入って、その財政と軍事力を強化してしまうことになった。
  だから、むしろ、領主たちはこぞって商人団体や都市に有利な計らいを提示した。

  しかも何より、富を蓄えた都市と商人たちは、並みの領主や君侯よりもはるかに高性能の武器や精鋭の軍隊・艦隊を手にしていた。
  そういう都市と商人の力を、特権と引き換えに同盟に引き入れるか、敵対させるかでは、領主・君侯権力の生存環境(生き残りの余地)がかなり違うものになった。
  都市は、君侯や領主たちに侮られないほどの経済的かつ軍事的・政治的権力をも保持していたのだ。
  都市と商人は、ヨーロッパ中に分立割拠する多数の君侯・領主たちの支配圏を横断して、通商経路のネットワークを組織していたのだ。

  そもそも、領主たちの所領経営は、農民から取り上げた剰余農産物を貿易商人に売り渡して、遠隔地の市場で販売してもらわなければ、およそ再生産が成り立たなかったのだ。農産物の販売収益がなければ、領主たちは貴族としての生活は成り立たなかった。
  領主貴族たちの贅沢品や武器の調達は、所領の収入を担保にして商人から前借している場合も多かった。つまり、貴族たちは都市と商人に金融的に従属していたのだ。
  しだいに貴族は、家門として生き延びるために、富裕な商人家系と婚姻関係を結ぶようになっていく。あるいは、富を蓄積した有力商人層が、没落した貴族たちから土地と称号を買い取るようになっていく。2つの身分は融合していくことになった。
  所領や領地内では支配者として振舞う領主たちの所領経営や家産経営を構造的に制約・支配していたのは、ヨーロッパ貿易を営む商業資本=遠距離貿易商人たちだったのだ。

「南の極」と「北の極」

  さて、こうした都市権力が著しく繁栄し成長した地域は、2つあった。
  北イタリアを中心とする地中海世界市場とフランデルン=ネーデルラントを中心とする北海=バルト海貿易圏だ。南ヨーロッパと北西ヨーロッパだ。これらの貿易圏の中核には、発達した諸都市があった。
  そのうち、イタリアの方がはるかに発達していて、富の蓄積もけた違いに大きかった。貿易の利潤率は大きかったという。そこでは諸都市は強大な権力を保有して、周囲の君侯や領主たちを圧倒し、むしろ支配していた。
  有力諸都市は、周囲の中小都市や農村(領主支配圏)をコンタードに囲い込んで、自らの排他的なテリトリーに組織していた。概して都市は横柄だった。

  一方、フランデルン=ネーデルラントでは、諸都市は近隣の有力領主君侯と巧妙な同盟を結んでいた。
  バルト海・北海周域で、権勢を誇っていたのは、ハンザ諸都市とその奇妙な通商同盟だった。
  ハンザの有力都市は、自らの権力を保持し続けるために、近隣の君侯・領主たちの領域国家形成を妨害して、そこで政治的・軍事的分断・分裂状況をむしろ促進・固定化した。そして、彼らの支配地の諸産業や農業を、ハンザの貿易権力への従属状態に追い込むような分業体系を組織していた。
  そこでは概して利潤率はかなり低く、そのため商人たちは豪勢な贅沢をこれ見よがしに楽しむことは控え、質素倹約や節約を尊重した。そうしなければ、富の蓄積が進まなかったからだ。
  その生活スタイルや伝統は、やがて宗教改革で北ドイツに質素倹約、質実重視のメンタリティをともなうプロテスタンティズムを生み出したようだ。

前のページへ | 次のページへ |

総合サイトマップ

ジャンル
映像表現の方法
異端の挑戦
現代アメリカ社会
現代ヨーロッパ社会
ヨーロッパの歴史
アメリカの歴史
戦争史・軍事史
アジア/アフリカ
現代日本社会
日本の歴史と社会
ラテンアメリカ
地球環境と人類文明
芸術と社会
生物史・生命
人生についての省察
世界経済