イタリア戦争とヨーロッパ 目次
ヨーロッパの地政学的構造の転換
君侯や領主たち
遠距離商業と都市の権力
「南の極」と「北の極」
都市支配型の経済から国家支配型の経済へ
都市を凌駕する王権国家
王室財政と都市=商業資本
イタリアの悲劇
イタリアの地政学
神聖ローマ帝国
都市国家群
教皇派と皇帝派の対立
地中海世界
イタリア社会の臨界点
異端運動と宗派紛争
国家の権力と教会の権威と
知識人専門家の登壇
知識人と権力組織

知識人専門家の登壇

  精神世界とかかわる変動は宗教ばかりではなかった。
  13世紀のイタリアでは、専門知識を持つ知識人が活躍するようになった。
  まず商業=貿易の発達は、物財の長距離・長期間の移動運搬をもたらし、契約と物財の引渡し、支払い決済などの取引の諸段階を時間的・空間的に大きく分離させたため、取引の文書記録や商業計算、会計=簿記などの文書記録による経営管理を必要とするようになった。
  商人やその手代・従業者たちは、識字能力や計算能力、文書作成能力、商況判断能力を身につけるようになった。
  さらに、都市国家の統治(行財政)と遠距離貿易、そして都市国家の間の紛争や交渉では、文書による情報伝達や状況判断、管理、記録・数値の集積と分類・加工、抽象的な観念の操作などの技術を必要とした。

  こうした専門的知識人を育てるための機関として大学が設立されていった。
  大学はそれまで、修道院や教会の付属機関だったが、同職組合(ツンフト/ギルド)の組織原理・運営原理に倣って改組改変されることになった。
  つまり、学術を探求する学僧・修道僧の組合団体から、僧籍をもたない学生や研究者、教授たちをも含めた団体となり、行政官や法律顧問、外交官、医師などを養成するための世俗的教育制度に転換していった。
  建築や美術・工芸などの親方職人の工房でも、より洗練された技巧や技能が求められるようになり、技術や方法ばかりでなく、学術知識をを系統的に習得し身につける場となっていった。

  これとともに、資格や専門技術・知識を売り物にする「人材市場」とでもいうべきものが出現した。そのかぎりで、身分や家柄から相対的に独自の社会的上昇の道が開けたわけだ。
  だが、なにしろ大学教育はおそろしく金と余暇が求められるものだったたから、やはり家柄=家系や資産・権力・地位などの後ろ盾がなければ、享受できない機会だった。
  そして、工房もまたそれほど富裕でない階層の子弟を育成する場となったが、書籍や技術へのアクセスという点では、やはりそこそこに資産が物を言ったようだ。たとえば、レオナルド・ダ・ヴィンチが有力家門の庶子だったように。

知識人と権力組織

  「人材市場」が動くためには、供給サイドの動きだけでなく、需要サイドの動きも必要だ。このニーズを高額の報酬をもって提示したのが、諸都市の政庁や君主の宮廷、あるいは富裕商人の経営だった。
  政庁や宮廷などは、官職を用意して、専門職知識人たちを惹きつけようとした。つまりは、専門家にとっては、知識や専門職技能は官職や権限を得て、社会的上昇のステップを登るための経路が用意された。
  都市貴族や富裕商人の家系は、一族や身内のなかに才能ある者を見つけて援助して、家系の一員がイタリア社会で有意のポストを獲得できるようにはからった。親族が高い地位を得ることで家門の立場が盤石になったり強化されたりすることを願って。

  さて、学校・大学教育や学術の発達は、統治の手法や形態、商業経営の管理などを客観的な認識や分析の対象とする知的な態度、方法論をもたらした。
  それが、今度は、統治や商業の活動を洗練させ、権力や富を追求する行動をより目的意識的に制御する動きをも用意した。それによって、権力闘争の形態は変化し複合化していくことになった。

  まさに、やがてマキァヴェッリのような知的に洗練された専門家や行政官を生み出す素地がつくり出されていった。

前のページへ | 次のページへ |

総合サイトマップ

ジャンル
映像表現の方法
異端の挑戦
現代アメリカ社会
現代ヨーロッパ社会
ヨーロッパの歴史
アメリカの歴史
戦争史・軍事史
アジア/アフリカ
現代日本社会
日本の歴史と社会
ラテンアメリカ
地球環境と人類文明
芸術と社会
生物史・生命
人生についての省察
世界経済