イタリア戦争とヨーロッパ 目次
ヨーロッパの地政学的構造の転換
君侯や領主たち
遠距離商業と都市の権力
「南の極」と「北の極」
都市支配型の経済から国家支配型の経済へ
都市を凌駕する王権国家
王室財政と都市=商業資本
イタリアの悲劇
イタリアの地政学
神聖ローマ帝国
都市国家群
教皇派と皇帝派の対立
地中海世界
イタリア社会の臨界点
異端運動と宗派紛争
国家の権力と教会の権威と
知識人専門家の登壇

都市支配型の経済から国家支配型の経済へ

  フェルナン・ブローデルはその著書《 Le Temps du Monde :世界時間》で、ヨーロッパ経済は、16〜17世紀をつうじて、それまでの都市支配型の経済から領域国家ないし国民国家が支配する経済類型に転換したと指摘している。
  国家支配型の経済がひとたび覇権を握ると、その後は、この経済類型が世界経済全体を覆いつくすようになていく。

  ヨーロッパの政治的・軍事的構造を見ると、中世晩期から近代にかけて、多数の君侯・領主のあいだの生存闘争をつうじて、ずっと少数の、より大規模で強大な君侯が支配する領域国家が形成され、そのなかで生き残ったものがさらに国民国家へと成長していくことになった。
  このような国家は、その行財政装置および軍事装置をつうじて経済的再生産を統制・組織化して「国民市場」「国民経済」へと統合していく。
  こうしてヨーロッパ世界経済は多数の諸国家へと政治的・軍事的に分割され、それらのあいだの競争や闘争をつうじて、世界経済はさらに地理的範囲を拡大し、内部構造も複合化していく。

  15世紀からイベリア半島や北西ヨーロッパには、それまでの君侯権力とは異質なはるかに巨大な王権領域国家が生まれ始めていた。
  たとえば、カスティーリャ、ポルトゥガル、フランス、ブルゴーニュ(中途で崩壊し、大半はハプスブルク家の領地になった)、イングランド。
  このような政治的・軍事的環境の構造的変動の背後には、ヨーロッパ世界経済の形成という文脈があった。

  ところで、こういう特殊な政治体が形成された地域では、強力な王権の成長と集権化を阻むほど強大な権力を持つ都市は成長していなかった。
  王権は有力都市の権力構造に飲み込まれることはなく、むしろ有力諸都市を王の権力のもとにがっちり取り込んでいった。やがて、それまで政治的・軍事的に独立していた周囲の有力都市さえも征圧するようになった。
  その先駆けが、エスパーニャ王権、イングランド王権、フランス王権だった。
  ところが、やがてヨーロッパ諸国家の政治的・軍事的対抗がさらに一段と強度( intensity )を増すと、革命などによって王権の国家装置をより集権的に再編できなければ、かつて有力だった王権も没落・崩壊することになるはずだった。

  軍事史・戦史として眺めると、かつての「騎士や領主たちの戦争」が「都市・商人たちの戦争」に転換し、やがて「王たちの戦争」が主力となり、さらに王たちの戦争が「諸国家の戦争」へと変貌していくことになった。

都市を凌駕する王権国家

  すでに述べたように、マキァヴェッリが生きていた、この時代、イタリアには、エスパーニャ王権――この王権は16世紀、オーストリア王権と合同してハプスブルク王朝となる――やフランス王権という、都市国家と比べるとけた違いに強大な権力がイタリアの支配ないし勢力圏獲得をめざして、乗り込んできていた。
  それはヨーロッパでの覇権・最優位をめぐる闘争でもあった。
  それらに比べて豆粒のように小さい北イタリアの都市国家どうしが互いに、地中海とイタリア――ときに争いはネーデルラントにもおよんだが――をめぐって争っていた時代とは、まったく異なる状況に転換した。

  遠距離貿易はイタリア人商人自らが主導してヨーロッパ全域規模で組織化されるようになり、ついにヨーロッパ世界経済が出現しようとしていた。このような文脈が、強大な王権が出現し対抗し合うようになった状況の背景にあった。
  この巨大なヨーロッパ世界経済というアリーナでは、政治的・経済的・軍事的な競争敵対の強度や規模が、それまでと比べてけた違いに大きくなってしまった。
  北イタリアやバルト海のハンザなどの――これまで普通の領主や王たちよりも強い自立した軍事単位として振舞ってきた――諸都市や諸都市国家では、この闘争を担う政治体としてはもはや小さすぎるようになってしまった。

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