私たちはここに、16世紀をつうじて、都市ないし商業資本の権力と王権国家との関係に決定的な構造転換が起きて、世界市場競争の構造もまた転換していった事態を確認することができる。
地中海貿易での覇権を足がかりに、ヨーロッパ全域を経済的に圧倒していたイタリア諸都市は、いまや侵略され、蹂躙され、掠奪される対象になりつつあった。
没落しつつあるフィレンツェの軍事外交の高官として、エスパーニャ王権やフランス王権によって蹂躙されるイタリアを目の当たりにしたニッコロ・マキァヴェッリは、《君主》の最終章でこう慨嘆する。
その行動の絶頂期にあって彼(ヴァレンティーノ公チェーザレ・ボルジア:引用者注)は運命に見放されてしまった。その結果、イタリアは命を失った者であるかのように、誰でもよいから、彼女の傷を癒してくれる人物の出現を待ち望み、ロンバルディーアの掠奪に、また王国(ナーポリ・シチリア)やトスカーナでの収奪に歯止めをかけて、すでに長期にわたって化膿した彼女(イタリア)の傷口を治癒してくれる人物の到来を待ち望んでいる。見るがよい、蛮族たち(エスパーニャやフランス)のこの残忍と暴虐から救い出してくれる誰かを遣わしていただきたいと神に祈る、あの姿を
チェーザレ・ボルジアは死去してしまったのだ。新たなタイプの君主が勢力を拡大すれば、あるいはイタリアの政治的・軍事的統一への動きが始まるかと期待していたマキァヴェッリは落胆した。
それにしても、マキァヴェッリの卓越した洞察力と歴史的センスについては、驚くしかない。彼の見識は、20世紀のアカデミズムの歴史家の限界さえ超え出ている!
時代はヨーロッパ的規模での通商戦争の時代に突入していたが、従来の都市や商業資本それ自体の権力からは、この長期の戦争を勝ち抜き、個々の都市国家を超えるような統合を達成しうるような政治組織=レジームは生まれてこないことを見抜いている。
イタリア(つまり卓越した都市と商業の権力)を強引に統合する君侯権力の登場を必要とすることを、直観的にだが、把握しているではないか。
チェーザレ・ボルジアがエスパーニャ王国バレンシーアの有力貴族家門であることを認めながら、この異国生まれのイタリア人にイタリアの政治的・軍事的独立への奮闘に期待していたのだ。
ただし、仮にチェーザレが生き延びたとして……ローマ教皇領を中心としたイタリアの政治的・軍事的連合が、北イタリアの有力諸都市と同盟できて、その経済的・財政的土台の上に、エスパーニャやフランスやオーストリアの諸王権をはねのけて自立できたかどうかは、大いに疑問ではあるのだが。
それにしても、イタリアの救済=国家的統合についてのニッコロの願望は、19世紀末まで果たされることはなかった。
さてさて、将来の国民国家に成長するような王権国家は、最も進んだイタリアではなく、辺境のイングランドで最初に始まっていた。
そこでは、大陸と海で隔てられていたため小さな軍事力で絶対王政が成長した。やがて宗教改革で国民的レジームが基礎づけられる。そして、市民革命をつうじて王権国家と商業資本の権力が統合されることで、貧弱な王室財政ではなく「国家財政」を樹立された。それは、やがてパクス・ブリタニカ(世界覇権)をもたらすのだ。