こうして、13世紀には、商業都市化した社会の現実に合わなくなったローマ教会の教義や運営にプロテストする異端運動が高揚していく。その主要な動機は、腐敗堕落して権力闘争に明け暮れる高位聖職者や教会組織への憤慨だった。
また、物欲がいよいよ幅を利かしてあくなき利潤追求や上昇志向を促進する社会風土のなかで、閉鎖的で停滞的・静態的な教会・修道院の組織と運営が、一般民衆からひどく乖離してしまっていた。
教会への不信や反感、疑念に対して、教会側の対応も割れた。
民衆の抗議を受け入れて、教義や聖典の新たな解釈や改変を求めたり、民衆のなかに溶け込むように献身的な伝道や求道に向かう僧侶・修道士もいた。また、従来どおりの教会の収入と権威を固守すべく、強権的な異端審問に奔る者もいた。
民衆の要求に応じた革新派として有名な運動が「フランチェスコ革命(改革)」で、それまで難解かつ抽象的で聖職者にしか理解できなかった教義・教理を民衆の言葉で解釈・伝道しながら、「教会の世俗化」を進めた。
ところで、一定の地理的範囲の内部で至高の主権性を主張する都市国家=政治体出現したことで、ヨーロッパのあらゆる社会に普遍的な権威を唱えていたローマ教会の権力は相対化されることになった。都市国家の側も教皇庁・教会組織の側も、より対自的・意識的な政策を打ち出すようになった。
つまり、ヨーロッパの「宗教改革 Reformation 」に先立つこと3世紀。北イタリアでは独特の宗教改革・紛争が始まった。
とりわけローマ教皇庁との対峙が鮮明だったのは、ヴェネツィアだった。
ヴェネツィアは地中海東部で商業覇権を握り、ビュザンツの東ローマ教会とも密接な関係を築いていた。
また、市内にはイスラム教徒やユダヤ教徒、アルメニア人など、ローマ教会組織の規律や戒律とは異質な宗教・慣習・文化の担い手たちも、商業取引の対等な担い手として認められ、自分たちの礼拝堂や宗教組織の造営をも許可されていた。
そして、ヴェネツィア市政庁は、域内の教会組織(司教や司祭、修道院)に、ヴェネツィア国家の統合と繁栄のために行動するよう求めた。そのために、司教や司祭、修道院長などの役職者の選任や任命では、教皇庁に対する都市政庁の優越を求めた。
それゆえに、ことあるごとにラヴェンナ大司教と、あるいは大司教を抱き込んだときには教皇庁と直接に対立した。
主権国家と教会の普遍的権威との敵対は、やがて、西ヨーロッパで、国民国家の萌芽となるはずの王権国家が形成され始めると、いたるところで繰り広げられることになる宗教紛争の先駆けだった。