では、日常的に彼らから差別や抑圧・迫害を受けている黒人たちや有色人種の人びとはどうか。
彼らもまた、外部の機関や個人の関与を拒否していた。もとより、内心では差別や抑圧からの解放を切に望んでいた。けれども、それは、彼らにとって、ほとんどまったく解決不可能なことだった。外部の人間と接触して、今以上の迫害を受けることを怖れていたのだ。
救済につながる公的制度に関する情報は、彼らから完全に遮断されれていた。教育でも酷い差別を受け、職業教育も施されていなかった。ローカル・テレヴィやラディオからの情報は、全面的に「白人」たちの世界観と利害に沿った内容だった。
ゆえに、黒人や有色人種の人びとは、外の世界に逃げ出していきたかったが、生活の糧を得るための職業技能や知識、生活情報を獲得する機会が奪われていた。
彼らが外部に逃げ出すのは、もはやこの地では安全に生活する最低限の条件を奪われ、破壊されたのちの、捨て身の選択でしかなかった。多くの黒人たちは、互いに身を寄せ合いながら、「白人」=人種差別主義者の力の前に屈服して、這いつくばって、生き延びるしかなかった。
この状況が、アランたちが町にやって来てすぐに、食事のためにレストランに行くシーンで如実に示される。
そのレストランは昼飯時で込み合っていた。空いている席は、隅の方にあって、仕切りに「有色人種( colored )」と書かれていた。
だが、北部のインテリ、アランはそれを気にする風もなく、というよりも、むしろ「くだらない差別」への「あてつけ」混じりに、有色人種の席に行った。半ばは、差別の被害者である黒人たちからなら、捜査に役立つ情報が得られるという読みもあってのことだ。
だが、アランの隣の席の若い黒人青年は、アランの質問に反応しようとはせずに、逃げるように席を移してしまった。
この若者は、あとで「見せしめ」のために、KKKのメンバーに襲われて、ひどい傷害を受けることになってしまった。
この地方では、この人種の仕切り=境界線を守り、日常生活のなかに「黒人との分離」を「当然の行為」として持ち込むことが、社会の秩序と平穏を維持するための仕来たり(行動スタイル)だった。ゆえに、この境界線を踏み破る者は、この地方社会の秩序と平和への挑戦者と見なされることになった。
レストランのなかで、とくに「白人」たちは、FBI捜査官のこの行動を半ばはあきれ、半ばは当惑して見つめていた。彼らの相当数は、アラン捜査官への反感、不信感を抱いたようだ。