ミシシッピ・バーニング 目次
アメリカ深南部の悲劇
原題と原作
見どころ
あらすじ
深南部の悲劇
プロテスタントの実態
公民権運動メンバーの失踪
分断され孤立させられる有色人種
憎悪と暴力の増幅
人種差別と対立の構図
突 破 口
捜査と「対抗暴力」
実際の事件と社会的背景
事件の捜査と裁判
最近の事件の問題性

深南部の悲劇

  世界の最先端都市、ニュウヨークやワシントンが連邦を取り仕切るアメリカ合衆国のなかにありながら、南部諸州に根強く人種差別の社会構造が残っていたのはなぜか。この問題はアメリカを理解するための最も重要なポイントの1つだ。

  このサイトのほかの記事で述べたが、アメリカ合州国の南部が国民国家としてのアメリカに統合されたのは19世紀末から20世紀初頭にかけてのことだ。北アメリカに強力な統一国家を形成して、世界経済での熾烈な権力闘争に乗り出そうとした北部諸州の力によって、いわば強制的にユニオン=連邦国家に取り込まれたのが南部諸州だ。
  南部はいってみれば、19世紀半ばまで、アメリカ北部よりもブリテンやヨーロッパとの経済的・政治的な絆が強く、とりわけ新南部(ルイジアナ、ミシシッピ、アラバマ、ジョージア、フロリダ)は沿岸部(ヴァージニアやキャロライナ)に従属する植民地=属領の体をなしていた。
  南部諸州は、酷い従属状態置かれた、それゆえヨーロッパや北アメリカによる過酷な収奪や搾取を受ける、貧困な辺境=縁辺をなしていたのだ。辺境には抑圧的な政治レジームや政治文化がありがちだ。

  「自由競争」すなわち強者の優越と支配の論理の貫徹を好むアングロ・アメリカン社会の通例だが、富裕な北部は自分たちの懐を痛めてまで、南部の悲惨な状況を改革して経済的・文化的格差を小さくしていくような「国民的融和策」を講じることはなかった。ブリテンやヨーロッパに代わって、こんどは北部の商業資本、金融業、製造業が南部を経済的に利用し搾取する権力として立ち現れることになった。
  南部、ことに深南部は、アイデンティティを奪われたまま、北部の従属的周縁・辺境の役割を固定され、いびつな仕組みが拡大再生産されていくことになった。

  17世紀からブリテンやヨーロッパからの植民者のなかから出現した北アメリカ南部の大地主=領主層は、そこでタバコやサトウキビ、綿花などの栽培・加工のために大プランテイション農場の開拓を進めた。こうした農場=地主所領の労働力は、主にアフリカから送り込まれた「黒人奴隷」だった。だが、ほかにも、ヨーロッパ各地の貧困地域の人びとが「有期の債務奴隷」=「年季奉公人」として送り込まれていた。
  彼らは移住にさいして負った(渡航費用など)債務=借金を返済するまでは無給で働き、年季(返済期間)が終わると、小作農民になったり、賃金農業労働者になったり、わずかばかりの賃金を蓄えて大農場の周囲の条件の悪い耕作地(牧草地)をちょっとばかり購入して家族経営を営んだりした。つまり、ヨーロッパ系移民のなかにも「債務奴隷制」ともいえる階級構造ないし身分格差があったのだ。


  だが、彼らのなかで栽培や農地開拓に成功して、自立的な農民になっていくのはごく少数だった。ちっぽけな農地や牧草地を得た農民たちの多くは、収穫を当てにして、土地を抵当に種子や農機具購入のために借金をしていた。それゆえ、不作や農産物の販売価格の暴落(豊作でも)に出会うと、債務のかたに土地を差し押さえられる場合が多かった。土地はより豊かな地主や農民の手許に集積していった。
  つまり、黒人よりはいくらかましだが、貧困や無権利状態に苦しむ白人農民が、深南部の人口の圧倒的多数を占めていた。
  彼らは、絶望的な貧困の淵にあって、各地方の秩序や治安にとって、つまりは大地主や地方都市の有力商人たちから見て、不穏な危険分子になりかねない階級だった。彼らの地位は、20世紀半ばになっても、あまり改善されなかった。
  もとより、絶対的数値指標では、世界の有頂天に登りつめていくアメリカの豊かさの「おこぼれ」には預かったが、アメリカ社会の経済的底辺の近くに沈んだままだった。
  北部の支配者たちは、アメリカ憲法の規範に従うことを要求したが、南部経済の底辺人口の生活水準を引き上げるための社会政策を打ち出すことはなかった。

  そんな状況のなかで、それが始まった経緯はいろいろだが、貧困な白人たちが、自分たちよりもさらに劣位=下位にいる黒人――これに加えて原住民族インディアン――を見下し貶めて、歪んだ自己満足やアイデンティティを「確認」する文化や意識、運動や仕組みができ上がっていった。あるいは、地方ボスたちが、いわば自分たちの「飼い犬」「私兵」「追従者」「自警団」などとして組織化し、秩序への脅威とならないように、むしろ自分たちの地方的権力の伝達装置の末端として取り込んでいった。
  残念なことに、貧困層の白人階級は、最底辺の黒人や有色人種と連帯して、市民権や地位の改善を求めていくことなく、彼らを差別し抑圧する「ヨーロッパ系」「プロテスタント系」集団としてのアイデンティティを求めていくことになった。
  深南部の政治的・行政的指導者たちもまた、このような意識や価値観で地方共通の絆、統合秩序のイデオロギーとして受容し、拡大再生産していくことになった。というのも、この価値観・イデオロギーは、南北戦争で打ちのめされてアイデンティティを喪失した頑なな南部指導層のルサンティマンが、色濃く塗りこめられていたからだ。

  黒人差別=抑圧は、北部に押し付けられた秩序に抵抗する南部人としての姿勢の政治的シンボルとなった。かくして、かつて北部によって打ち砕かれたアイデンティティを回復する虚偽の価値観(表面的な「自己実現」)の核心に据えられていった。
  KKKなどの団体は、南北戦争で南部が掲げた「諸州連盟の旗」を、あたかも団体旗のように利用することになった。
  彼らの敵意は、人種的・民族的には、黒人だけでなく、黄色人種やユダヤ人、非プロテスタント系キリスト教を信奉する諸民族(アルメニア人、スラブ諸族)などに向けられていった。
  やがて、北部の支配、北部の価値観への敵対と黒人差別=抑圧をスローガンとする「公然たる秘密結社」KKKが形成されていった。これらの組織は、宗教的には超保守的なプロテスタント教会と結びつき、各地のローカルなボスに統率され、黒人への暴力や抑圧の実行部隊には貧困層の白人がリクルートされていった。
  そして、以上の文脈からしても、KKKをはじめとする団体は、深南部の政治的・行政的権力の末端装置と融合して、秩序維持の最前線装置=「汚れ役」として機能するようになった。

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