FBIの介入は、この地方での人種差別、黒人に対する憎悪と暴力を増幅させることになってしまった。
白人保守派にとって、黒人への差別はこの地方で守り抜かねばならない制度であり、「美徳」でさえあった。そう思い込みたかった。そして、黒人たちには、この制度に対する不満や暴力・虐待の実態を、外部の機関としてのFBIに告げてほしくなかった。そのために、従来上に過激な暴力を振りかざして威嚇することになった。
あるいは、過酷な条件のもとで勤勉さと努力によって、耕作や酪農でささやかな成功を収めている黒人営農者への妬みを、このさい彼らの家屋や畜舎の焼き討ちによって、解消しようとしたのかもしれない。
だが、それは白人保守層、既存の地方ボス(支配層)の危機感の表れでもあった。なにしろその頃、アメリカ合衆国のあらゆる住民に市民権=公民権が平等に付与されるろする憲法修正条項が確定し、南部各州にも普及しようとしていたのだ。
一方、アンダースンは、アランの――北部エリートキャリア官僚の――あくまで合法性を貫く「正攻法」の捜査が、根強い差別が人びとの(とりわけ有力者層の)生活慣習や美徳にさえなっているこの地方では、ほとんど効果をもたらさないことを知っていた。そこでアンダースンは、一方では、人種差別に対して内心忸怩たる思いをしている人びととのコンタクトを求めながら、他方では、差別主義者への暗黙の威嚇や裏取引きをもチラつかせて捜査に当たった。
つまりは、ここの住民の心の襞、あるいは弱みにつけ入ろうとしていたのだ。
そこで目をつけたのが、というよりも、かつての自分と同じ苦悩を味わっていると見抜いたのが、保安官補クリントン・ペルの妻で床屋=美容院を営む女性だった。
ところが、KKKはFBI捜査官アランを襲撃した。殺害・排除をもくろんだものか、それとも威嚇をねらったものか。いずれにしろ、この郡でのローカルルールや慣習を守って、余計なことに口を出すな、住民に質問するな、というわけだ。
だが、アランはこれによって逆にKKKや地方ボスたちに対する敵愾心を燃やし、任務の遂行に躍起になった。彼は、FBI本部に応援要員の派遣を要請した。ただちに、20名を超えるFBIの増援部隊が何台もの車を連ねてやって来た。
とはいえ、これによって住民からの情報収集が進んだわけではなった。むしろ、「力対力」の対決構図がいよいよ明白になり、憎悪は膨れ上がった。
やがて、黒人牧師の息子などからの情報によって、あの3人の青年たちがKKKメンバーによって殺害されたもようであることが判明した。
この地方には大きな沼沢地があった。死体や車を水に沈めて隠す場所はいくらでもあった。しかし、増派されたFBI捜査陣をもってしても、被害者や車の捜索は手に余る作業だった。
アラン捜査官は、ついに連邦軍の出動を要請した。現地の風習や価値観になじんだ州兵は投入できなかったのだ。海軍予備兵団(未成年の中隊)がやって来た。こうして、200人以上の兵員が沼沢地で捜索をすることになった。彼らは沼のなかに入り込み、棒で水底を突いて回ったり、水中に潜ったりして、大規模な作戦を展開した。
FBI要員の増派に加えての海軍部隊の投入は、一挙にマスメディアの関心を呼び起こした。深南部の人種差別と抑圧、公民権運動家に対する暴力をめぐる問題が、連邦全体の関心を呼び起こすことになった。
ここにいたって、北部が支配する連邦国家装置が新南部の秩序に介入し、その欠陥を暴き立て、力づくで組み換えようとする形勢が現出したともいえる。