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歴史家: 物語のなかでの女性の位置づけというか、役回りが一番典型的に現れているのは、「魔女の宅急便」ではないでしょうか。
13歳の少女キキは駆け出しの魔女、魔女の見習いという年頃で、自立した魔女=職業女性(専門職としての魔女)になるために、親のもと、育った町、友達のもとを離れて修行のたびに出る。これは、すごい冒険譚でですよね。
絵描き: そうそう、武者修行だ。それが少女なんだから。宮崎駿の希望や期待が込められている。
歴史家: これはこの映画の案内プログラムに解説されていたことなんだが、キキの前には自分の成長というか人生の先達、モデルになるような自立した女性たち、職業女性(主婦でもある)なんかが出てくる。
たとえば、まずパン屋のオソノさん。近くに住むデザイナーをしている美しい女性。そして女性画家、例の奥様と家政婦さん。
だれもが、キキの資質や性格、冒険心、好奇心、自立心が混ざり合って成長していくと、そうなるかもしれない将来の姿ともいえます。
絵描き: 「風の谷のナウシカ」でも、トルメキアの王女クシャナはある意味でナウシカのある部分が成長した姿ですよね。優れた戦士、指導者、そして孤独、孤高の影を引きずる美女。
読書家: 彼女らはみんな自立的な行動ができる。仲間や支援の手を差し伸べる集団を拒まないし、ともに行動するけれど、いい意味で自分の意思や気持ちを最優先しますよね。
だから、少しだけ孤独というか孤高の影があります。
都市のなかや戦場、異界で自立しようとして1人で必死に戦う、奮闘努力します。
歴史家: 「紅の豚」のシークェンスが「宮崎駿の世界」での男女の位置関係を端的に表してます。
それは、空賊たちが襲った旅客船から飛行艇に捕らえられた(実際には乗っ取ってしまった)幼稚園の女の子たち。冒険心と好奇心にあふれ、ところかまわず走り回り、のぞき回り、空賊たちをてんてこ舞いさせてしまう。虜になったのは、むしろ空賊たち。
歴史家: まだ語りたいことはありますが、次の話題に進みましょうか。