5
江藤先生は、ある真夜中の練習室で、のだめと千秋がラフマニノフのピアノコンチェルトを協奏しているのを聴いて、のだめのポテンシャルを知りました。
で、のだめを自分の指導のもとに置いて特訓しようとします。もちろん、張り扇を振り回して。
で、逃げ回られてしまいます。
じつは、千秋への指導での失敗以来、江藤先生は指導方法について悩み続けていました。張り扇を捨てました。
そして、のだめの指導ではさらに深い悩みに陥ります。
話を先走らせますが、
のだめのコンセールヴァトワール(パリ高等芸術学院の音楽部門、ほかにも演劇・舞台芸術、バレエなどの部門があるという)への留学が決まったとき、キャンパスで学友たちと語り合う「のだめ」を見て、江藤先生は谷岡先生にしみじみと述懐します。
「いやあ、こわかったですよ。彼女には私はいったい何を教えることができたのか疑問だ」と。
西岡さんは「そんなことは、遠い将来になってみないとわからない」と返答します。
江藤教授は、のだめのように才能だけで20歳過ぎまで生きてきたような「野人」と音大で出くわすのははじめての経験だったのです。
のだめの心理と演奏は、日によって、あるいは瞬時に、まるでジェットコウスターのように激しく上下左右に揺れ回ります。
きのうまでは、箸にも棒にもかからなかったのに、今日になったら、すっかり曲想をマスターし、心を揺り動かされるような、すばらしい演奏をするのですから。
「何なんだ、こいつは。こんな学生ははじめてだ。いったい、どうやって指導していいものやら」と悩んでしまうのです。
けれども、育ら指導者が悩んでも、要は、師匠や周りの環境から学び取り、吸収していくのは、結局のところ本人なのです。
コンクールで勝つために、のだめは、江藤先生の指導からも、自分流にエッセンスを貪欲に学び取っていったようです。
のだめがのだめらしく成長していく環境を与えたのは、おそらく彼女の人生で江藤先生がはじめてだったでしょう。もちろん、のだめがそのとき自分の目標を持ったというタイミングもありますが。
その意味では、江藤先生はやはり飛び切りに優秀な音楽指導者だといえます。彼女との付き合いのなかから(その前に千秋の件で深く学んでいた)、江藤教授も多くのことを学び取ったに違いありません。
その組み合わせを(のだめを突き放して)望んだ西岡先生もまた、なかなかの音楽家、いやタヌキ(策士)ではあるといえます。
とにかく、のだめは、楽譜を理解して作曲家自身の構想を読み取る前に、直感的に自分の構想とかイメイジをつくり上げてしまうのです。それで、むしろ「本来の曲想」の理解には、かなり遠回りをしてしまうわけです。
悩む、逃げる、落ち込む。それでも、ふたたび立ち向かうのです。要するに、ピアノが好きなのですねえ。好きであること、だから続ける、それは最も重要な才能です。