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では、心に残るシーンをあげておきましょう。
千秋とシュトレーゼマンとの「音楽家としての本当の出会い」の場面です。
マエストロ指揮者とそれを志す学究として千秋の出会いの感動的・衝撃的なシークェンスです。
のだめは、千秋の本当の目標が指揮者となることであることを知り、しかも本場ヨーロッパへの留学を希求していることも知りました。
千秋が学部を卒業すれば、あるいは卒業前にも、知り合いや人脈があるヨーロッパに行ってしまうかもしれない。そうと考えた「のだめ」は、千秋が日本にとどまって研究・修練が続けられるように、何とか指揮科への転籍をシュトレーゼマンに認めさせるようにしようと思い立ったのです。
で、千秋とともにシュトレーゼマンの研究室を訪ねて、千秋の転科を認めるように頼み込みました。
ところが、シュトレーゼマンは、のだめがキスしてくれたら転科を認めるという条件を出しました。のだめはひどく躊躇するが、千秋のためだと思い提案を受け入れようとしました。
…が、シュトレーゼマンの迫り方があまりにいやらしかったので、思わず拳をシュトレーゼマン顔に叩き込んでしまいました。彼は気絶してしまいました。
ところが、シュトレーゼマンはSオケの指揮=トレイニングを直後に控えていたので、Sオケには指導者がいなくなってしまいました。指揮者が来ないので、Sオケのメンバーがあきらめて帰ろうとしました。
ところが、オケのメンバーは千秋が指揮をかなり高いレヴェルで独習しているのを知りません。だから、メンバーはのだめの提案を訝しがり、千秋の指揮者としての素養や能力を疑いました。
それでも、何とかオーケストレイションの経験を積もうということで、オケのメンバーは千秋の指揮を受け入れて、練習が始まりました。
このときの課題曲が、あのベートーフェンの交響曲第7番。
ところが、メンバーは誰もが自分の個性を突出表現したがる輩ばかりで、楽譜を正確に把握しようとか、別の楽器や全体との調和とかにはまるきり無関心。楽譜の分析や理解がたりませんし、技術が「まだまだ」のうえに、各パートがバラバラです。
他人やほかの楽器の音を聞きながら、調和させるメンタリティも技能もないようです。経験不足ということでしょう。
千秋は落胆し、それどころか驚き入ってしまいます。
「あのエロじじい、学園中から変人やへたくそを集めやがって!」と。
で、いきなり、メンバーに(千秋からすれば最低限度の当たり前のものなのだが)厳しい要求を突きつけることになりました。女性のメンバーのなかには(たとえば、ヴィオラ)厳しい注意に泣き出してしまう者もいました。
それでも、メンバー全員は、千秋の指揮者としての才能・素養が(同級生なのに)頭抜けていることを思い知りました。曲全体の構想についても明確なイメイジをつかんでいて、しかも各楽器のテンポ、強弱、ピッチ(音程の外れ方)をすべて一瞬のうちに聴き分け、感知把握してしまうのですから。
けれども、その能力はメンバーを畏怖させ、萎縮させてしまいました。
オーケストレイションとは、調和=統一のために、個々の能力を発揮させて組織化することなのですから。
それゆえ、千秋はオーケストラのメンバーを個々にも総体としても「掌握」「組織化」することは、まったくできなかったわけです。