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なかでも圧巻は、千秋真一の「プラティーニ指揮者コンクール」――コンクールは英語のコンペティションに当たるフランス語 concours 、あるいはドイツ語 Konkurrenz の略――への挑戦の物語だ。
原作者がサッカー好きらしく、このコンクール名にも往年のサッカー名選手の名前がつけられている。ただし、FIFAの大規模な汚職問題でプラティーニ氏は現在、大変な窮地にあるようだ。
なにしろ、指揮者が直面するオーケストラは、大勢の人間集団、楽器の集合体だ。指揮者は、この集団・多種類の楽器と多様な旋律・リズムなどを1つの統一的な全体にまとめ上げるのが任務だ。さまざまな楽器の音を聞き分け、その独自性と相互の調和をはかり、全体に統合しなければならないのだから。その技術や表現力、テーマの解釈力などを、若手の指揮者たちが競い合うわけだ。
もちろん、主人公の真一の立場や視点から描くわけだが、彼が向き合う主だったライヴァルたちの動きや心理をも並行して描き切らなければならない。
ドラマでは、チェコのプラーハで、ウィルトール管弦楽団を共演団体として、ライヴァルたちが、課題曲のイメイジの解釈、音楽の構成や表現力、それゆえまた楽団とのコミュニケイション(対話や論争、対立や協和)をめぐって競い合うわけだ。それをクラシックの専門家ではなく、一般の観客にわかるように描き、表現しなければならない。
音楽への造詣が深いだけでは描ききれない。ドラマとしての演出、見せ方、演技力、映像の編集技術…などのすべてが問われることになる。そのようなドラマについては、おそらく日本のテレヴィ・映画制作陣がはじめて取り組むことなるのではなかろうか。これをつくり上げたことは大きな達成と評価できる。
言うまでもなく、喜劇仕立てであることがリアリティの再現をちょっぴり誤魔化せるかもしれないから、幾分救いになるかもしれないが、それにしても、喜劇としてのオチとか起承転結のメリハリをつけるという難しさはある。
さて、原作のマンガでは、かなり自由で奇抜な状況設定や筋立てにできる。コマ割りや背景描写を簡略化ができるからだ。ところが実写映像にすると、きちんと背景設定をしなければならない。まずは会場となるコンサートホール、登場する楽団(メンバーの人物設定と楽器)、真一のライヴァルの人物設定(キャストも含む)、観客などなど。
瑣末な話では、観客が座るイスとか床の色、室内(窓)から見える風景のアングルまで、リアリティを出すための工夫が必要になる。
何よりも、演奏される音楽(楽曲)のさわり(エッセンス)が、コンペティターのさまざまな挑戦場面に重ねて、次々に畳みかけられるみたいに繰り広げられる。私のような素人にとっては、クラッシックの定番作品を知るうえでこれ以上ないほどの「教科書」となる。