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自分のスタイルにこだわり過ぎてオケと対立し、ミスを犯し、しかも自分のイメイジを構築・表現することができずに終わったことに、真一は悩んだ。結果を出せなかったということで、予選落ちを覚悟した。
のだめは、彼を慰めようとする。が、それは、千秋の傷口に塩を塗りこむような結果になった。
ところが翌日、会場近くのレストランで、真一とのだめがティータイムを過ごしてるとき、地元の音楽ファンが真一を見つけて近寄り、温かい励ましを送った。
「若さの熱情のあまり、空回りするくらいに前のめりになるいことは、けっして失敗ではない。むしろ、審査員には好印象を与えるものさ」と。
何しろ若手指揮者の登竜門なのだ。失敗や対立を怖れて小さくまとまるよりも、これから挑戦すべき課題に果敢に立ち向かう姿勢と資質を見せた方がいい場合もある、ということかもしれない。
このシークェンスがじつにいい。
というのも、レストランの窓の外には、プラーハ市の中心部を流れるプルタヴァ(モルダウ)河を見渡せる。そして、この風景にぴったりのように、BGMには、スメタナの「モルダウ」が流れる。
美しい風景と美しい調べ。場にぴったりの。
日本編の冒頭での、千秋のプラーハ回想シーン、そしてドゥヴォルジャークの「組曲ボヘミア」もよかったが、やはり私としては、プラーハを流れるプルタヴァ河には「モルダウ」だと思う。
ところで、この指揮者コンクールの場所は脚本上ではフランス国内ということらしいが、ロケ地はプラーハなのだろう。しかし、登場するシーンはボヘミアの風景とプラーハなのだから、私としては物語の設定にこだわらず、プラーハで話を進める。
その最大の理由は、このカフェのシークェンスの背景で流れる曲が――千秋がヨーロッパへの憧れやヴィエラへの想いを表現するライトモティーフとなっている――ドゥヴォルジャークの『ボヘミア組曲』だからだ。つまり背景音楽と情景とがまさにぴったり合うのは、プラーハだからだ。
さて翌朝、かなり落ち込んだ状況のなかで、真一はのだめとともに、片平のユニークな指揮を見学した。のだめが楽しそうに笑った。音楽の楽しさをストレイトに表現するパフォーマンスだったからだ。それを見て、千秋は本来の自分の目的を認識し直す(回復する)。
「こんな風にのだめが喜ぶような演奏をしたかった」と。自分らしいスタイルをそういう方向で表現する方向を求めるべきだったと。
3次予選の結果としは、やはり地元の耳と目の肥えた聴衆=ファンの判断は確かだった。本選に残ったのは、ジャンと片平と千秋だった。