目 次
こうしたヨーロッパで、ほぼ地中海全域をカヴァーするような遠距離貿易、イベリア北部とイングランド、ネーデルラント、北ドイツ、バルト海などを結ぶ商業網、それを組織化する都市の商人団体の存在は、きわめて特異な存在でした。
そして、彼らは、有力領主や大修道院の所領経営の首根っこを押さえていたのです。聖俗の領主たちが農民たちから収取した剰余農産物、あるいは特産物は、遠隔地市場への販売・移送が成り立たなければ、何の収入ももたらしませんし、彼らの権力の果実は何も実らないということになります。
この遠距離貿易市場そのものを掌握し、そこへの販売を取り仕切るのは、都市の商業資本です。商業資本は、都市を自分たちの「権力の砦」として支配運営しています。
他方で、領主の権力や農民の生活は局地的な圏域の内部で自己完結=閉塞しているように見えます。ところが、領主の所領経営や家政装置は、有力諸都市の商人団体が支配している遠距離貿易ネットワーク、世界貿易のネットワークに取り込まれていくことになりました。
そうなると、領主たちは互いに生き残り競争を繰り広げることになりました。兵器や武具を調達し、兵員を集めるために貨幣による財政収入を増やさなければならくなりました。増やさないと、ライヴァルたちの権力に飲み込まれるか、破滅するしかなかったからです。そのためには、支配地を拡大し、その内部での課税権を確立しなければなりません。
名目的な支配圏の内部では、自立的な政治体として振る舞う地方領主たちの権力を切り崩して自らに服属させなければなりません。こうして、有力君侯領主たちのあいだで領域王政、領邦君主政をめざす政治的・軍事的な競争が繰り広げられていくことになりました。
都市の商業資本は、それぞれの君主の支配圏域の内部では特権となっている商取引をめぐる権利を高額の税や賦課金の上納と引き換えに獲得し、君主たちの財政と深く結びついていきます。より多くの財政収入を求める君主たちは、貿易の担い手である有力諸都市の富裕商人への依存関係を強めていきます。
このような影響力や交渉力を武器に、有力領主たちの領地を横切る貿易経路の安全を確保していきます。もとより、有力諸都市は、その財力に物を言わせて最先端の兵器や軍事力を保有し、ときには貿易路に立ちはだかる君侯領主に戦いを挑むこともありました。
汎ヨーロッパ的な「普遍的世界観」を掲げているローマカトリック教会についてはどうでしょうか。しかし、ヨーロッパ各地に分散している教会領や修道院領からの税や貢納を貴金属貨幣に交換して教皇庁に輸送しているのは、イタリア諸都市の商人組織でした。
ローマ教会の汎ヨーロッパ的な権威を実効たらしめていたのは、これまた遠距離貿易=金融のネットワークでした。教会組織や修道院組織は、現実には、やはりあちこちで局地的な圏域で運営され、権威を発動していたにすぎません。
14世紀の危機
領主経営の危機と転換の過程は、13世紀末から14世紀にかけての農業危機と疫病の時代を挟む形で進行した。
13世紀末頃から、西ヨーロッパの農業生産性は逓減し始める。かつてはヨーロッパ大陸の9割以上を覆っていた自然林は、その頃にはあらかた消滅していた。人類は、ほぼ3世紀のあいだに、自然環境と生態系を乱暴に組み換えてしまったのだ。かつての森林の多くは伐採開拓されて農地になった。だが、やがて凶作が続いて農村は荒廃し、農地は放棄されて、笹に覆われた叢林や荒蕪地になっていった。それはクマネズミに格好の棲み処を与えた。クマネズミはノミやダニに寄生されやすかった。つまり、ペスト菌をはじめとする疫病、感染症の増殖・媒介となりやすい生態系を構成した。
一方、急速に成長する都市集落では、ゴミや汚物が街路に投げ捨てられ、塵芥がいたるところにかたまり、踏み散らかされていて、衛生状態が非常に悪化していた。そこに人口が流入していた。下層民は、十分な食事も摂れずに栄養不足に震えながら、狭くて日当たりの悪い不潔な住環境に押し込まれていた。
それから半世紀のち、14世紀半ば、ヨーロッパ全域にペストが蔓延することになった。黒海クリミア方面から、交易船舶にもぐり込んだネズミとともにやってきたといわれる。
ヨーロッパでは、すでに栄養失調で多数の餓死者や病死者を出していたという。やがて食糧欠乏、栄養失調で苦しみ免疫が低下していた人びとをペストが襲うことになった。全人口のおよそ30%から半分近い人びとが、死滅していったという。4000万に近い人口が失われ、ふたたび人口が回復するのに200年以上もかかったという。
ヨーロッパ人は、この未曽有の危機を農村開拓や都市建設、商品貨幣経済の拡大の帰結として経験したのだが、この危機への対応とそこからの脱出もまた商品貨幣経済のさらなる拡大に頼ることによって達成した。