ここで、空軍力によるブリテン攻防戦という事態がもつ戦史上の意味について考察しておく。
1つめは、航空戦力による攻撃の破壊力を見せつけ、それ以後、陸戦、海戦、空戦を問わず、機動的な航空戦力を用いない戦闘や戦争は勝利の見込みが失われてしまったことだ。そして、航空戦力を備えるということは、世界的に産先端の工業テクノロジーを育成し、電気・電子、機械、化学、造船などのあらゆる製造業分野を統合する産業政策が不可欠になった。
2つめは、圧倒的な速力と広大な戦闘射程を備えた航空戦力は、陸戦よりもはるかに広大な戦域をもつ海洋戦力、海戦の形態を構造転換してしまったことだ。レイダーの開発と連動しながら、偵察・索敵活動の方法を航空機を用いることができるかできないかで、戦果は決定的に異なるようになった。そして、海戦での機動的な攻撃力として航空機を最も主要な兵種=兵装に押し上げた。
それまで国家の威信と戦力を象徴していた戦艦 battleship を海軍力の首座から追い落とし、航空母艦主体の航空機動艦隊が海戦の主軸となる時代を呼び寄せたのだ。
3つめとして第2次世界戦争の戦況の転換がある。ブリテンの空の攻防ののち、というよりも並行して、ブリテン軍はアメリカと協力しながら、海洋における航空索敵活動の方法を開発していった。それは、ドイツ海軍による通商破壊(商船攻撃)が激化していく状況に対応して、それまで艦艇での視認によるものから戦闘機による偵察・索敵行動によって、守備範囲を飛躍的に拡大することができた。
それは、大西洋において、約2000隻におよぼうとするドイツのUボート――もともとは長い単語綴りが面倒で略称が好きなドイツ人たちが Untersee-boot を「ウーボート」と呼んだため――による通商船舶・船団への攻撃をいかに防ぐか苦悩していたブリテン軍に、航空戦力の応用を思いつかせたのだ。
ブリテン軍はカナダ沖合とカルビ海、ブラジル沖合を起点として円状の航空索敵と艦隊による迎撃態勢を組み合わせて、制海圏域=制空圏域を広げていった。その結果、1942年夏頃までには、Uボートが活動できる範囲は大西洋全体の20%を下回るようになったという。43年には、ゼロに近くなったらしい。
もしも、ドイツがブリテン攻撃にこれほどの航空戦力を投入し損耗しなければ、さなきだに戦力不足の海軍の支援活動に回すことができていただろう。もとより、地中海と北アフリカ戦線にも航空戦力をもっと大量に投入できただろう。
しかるに、1940年秋までにブリテン攻防戦に躍起になったあまり、ドイツの航空戦力は大きな打撃をこうむり、あらゆる戦線での後退と劣勢を呼び起こす引き金の1つになってしまった。戦争の素人ヒトラーが仕切ったためだった。