それでも、この映画のなかでは、オーストリア、ニュージーランド、カナダなど、ブリティッシュ・コモンウェルスから参加した選手たちに対するプリンス・オヴ・ウェイルズ(皇太子)の謁見の場面が描かれています。このシーンは、世界的規模で広がる大ブリテン帝国の諸地域に対するイングランド王室=国家の超越的な権威がいまだ存続している事態が垣間見えます。
この権威は、なるほどもはや黄昏間近とはいえ、かつてのように軍事的・政治的な権力から文化的な権威に転化しながら、まだまばゆい輝きを保っていることを告げています。なればこそ、この帝国の権力体系の頂点に君臨するエリート、ブリテンのジェントルマン階級のエレガントな地位と行動スタイルが成り立ちうるのです。
とはいうものの、ブリテンの力は目に見えて後退しつつありました。ヨーロッパやアメリカの列強に対する優位を失いつつありました。
そして国内では、長らく富裕諸階級だけが独占していた参政権が、しだいに勤労者層(男性に限る)にまで拡大され、労働組合はすでに合法化されています。1900年には、労働代表委員会(全国的な組合団体の連合と代表組織)が組織され、その6年後には公式的な政党として「労働党」が成立しました。
「政治の大衆化」によって、ジェントルマン階級の権力はそれなりに制約を受けるようになり、この階級自体の内部の顔ぶれが変動しつつありました。
オリンピック・パリ大会が開催された同じ年には、わずか半年あまりでしたが、労働党の内閣が出現し、政権を運営しました。土地貴族・大地主に代わって、法律家やテクノクラート官僚などの専門職層の地位が上昇し、労働組合運動の指導者(労働貴族)がエリート予備軍の新たなメンバーになろうとしていました。
もとより、最有力エリートサークルのトップには、依然として世界貿易・世界金融を営む階級が居座っていて、彼らはまた有力な貴族家系や大地主家系の一族をなすか、あるいはそれらと強く結びついていました。
それでも、エリートの内部構成は変化しようとしていました。
このような状況のなかで、ハロルドとエリクは、見せかけの国家(国民)の栄光ではなく、あくまで個人としての欲求と信念を貫こうとしました。そのために、旧弊なエリートの価値観や倫理観と鋭く対立し、あるいはその壁を打ち破ろうと挑戦する立場に立ちました。
とはいえ、それは、彼らが恵まれた環境にいて豊かな資質や才能を発揮できたから、つまりエリートの予備軍かその周囲にいたからこその恩典だったともいえます。つまり、スポーツに専念できる余裕と余暇があったからです。「民主主義の母国」ブリテンにあっても、一般民衆出身のスポーツエリートが登場するのは、まだ数十年先の話です。
そうではありますが、当時としては、彼らは個人としてはきわめて大きなリスクを負いながら、あえて権威への戦いを挑んだのは確かです。彼らの毅然とし颯爽とした姿、スポーツマンシップに広く共感と賞賛が寄せられるのも、むべなるかな。
そして、この大会の直後から、スポーツの祭典は公然たるナショナリズムの高揚と国家的威信発揚の場になっていったのです。
その意味でも、伝統的な権威に対峙しながら、個人としての名誉、自己の良心、自己の目標を求め続けた2人のアスリートの姿は、私たちの胸に迫るものがあります。
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