炎のランナー 目次
原題について
あらすじ
作品が描いた時代と主題
ハロルド・エイブラムズ
ジェントルマン階級
エリートとスポーツ
疎外感と挑戦意欲
異端とエリート
仲間たち 新世代エリート
エリク・リデル
統合装置としてのスポーツ文化
王室の権威よりも信仰を選ぶ
エリート内部の世代格差
ブリテンとアメリカ
アメリカの挑戦
翳りゆく栄光
レジーム変動
ハロルドとエリクの挑戦

エリク・リデル

 ブリテンのナショナルティームには、もう1人の異端児がいます。エリク・リデルです。
   彼は、ブリテンのプロテスタントのなかでも急進的なスコットランド長老派教会(presbyterian:プレスビテリアン)の若き司祭補です。彼はラグビーのスコットランド・ナショナルティームの快速フルバックで、その俊足は世界中から注目を集めています。
   エリクは、陸上競技で「天賦の(まさに神が与えた)疾走能力」を世に示すことで、教会の権威の普及と布教に貢献しようとしていました。それを親族や教会の指導層もまた支援していました。
   エリクは中国で熱心に布教活動をおこなっているリデル家の一員で、教会の指導者になるべき将来を嘱望されていました。
   1920年、彼はスコットランドのハイランド地方にある小村の運動会に招待され、そこで才能の片鱗を垣間見せます。村人との交流や子どもたちへの接し方から、教会の厳格な規律を守り、民衆のなかに溶け込もうとする、エリクの真摯な宗教家としての姿が浮かび上がります。

統合装置としてのスポーツ文化

 当時のブリテンでは、スポーツがエリート層の余技となっているとともに、一般新聞やスポーツ新聞の格好の報道ネタであり、一般民衆を「1つの国民」に統合する機能を果たすようになっていました。新聞報道や噂に誘われて、富裕層だけでなく、貧しい労働者階級、下層階級もまた競技場につめかけ、ひいきの選手を応援し、なにがしかの金銭を賭けるという風習も広がっていました。
   民衆が集まる競技場は、リデルと教会にとって、絶好の伝道の場でした。しかも、容姿端麗で知的なリデルが「神のごとき走り」を見せて勝利をかちとる舞台であってみれば、なおさらです。
   彼は国内競技会でハロルドを破り、短距離走の第一人者になります。1924年のオリンピック・パリ大会陸上短距離走の最有力の選手候補となります。エリクを追いかけるのが、ハロルド・エイブラムズです。

王室の権威よりも信仰を選ぶ

しかし、彼はパリ大会に向けてカレー港に旅立つ船のなかで、オリンピック競技の予選が日曜日(安息日)におこなわれる予定であることを知り、厳格なプロテスタントとしての信仰を貫くため、出場辞退を競技委員会に申し出ます。しかし、面子を重んじる委員会は、エリクに出場しろと圧力をかけます。が、リデルは峻拒します。
   競技の日の直前まで話し合いはもつれ、結局、エリクをアンドリュの代わりに木曜日の400メートル走に出場させることで決着がつきます。この登録変更の妥協案を提起したのは、若きアンドリュ・リンゼイ卿で、彼はブリテンのエリートの新世代を代表する立場です。
   オリンピックは、ナショナリズムが高揚してきたこの時代、諸国民が優位を競い合う舞台ですから、ブリテンとしてもその国際的威信を示す場であるはずです。
  ところが、エリクの棄権は、オリンピック委員会の中心となっている王族、ひいては国家の権威よりも個人の信仰(良心)が優越する、という事態を出来させることになってしまいます。ブリテンのオリンピック委員会としては、なんとしてもこれを回避し、エリクの競技出場を実現しなければ、権威失墜となると考えています。
   しかし、彼らは、(プロテスタント諸宗派を統合するアングリカン・チャーチの指導者としての)王と国家への忠誠や愛国心という「古くさい呪文」を盾に、エリクに翻意を迫り、みじめに失敗したところでした。

エリート内部の世代格差

 アンドリュの提案は、彼自身はすでに障害走で銀メダルを獲得しているので、400メートル走を辞退し、代わりにエリクを出場させれば、エリクの意思を尊重し同時に委員会の面子を立てることができるというものです。
   この場面では、トップエリート層のなかでの世代の差、つまり世代ごとの世界観や人生観の違いが描かれています。
   老年の貴族は、「王権や国家という存在の前では個人の信仰や意思の尊重は、そもそも問題になりえない」と吐き捨てます。が、中年の公爵は、「立場は違うが、エリクの考えは正しい」と認めます。そして、青年貴族アンドリュは、「個人の意思や挑戦意欲」を表明する才能をエリートの内部や周囲に参集させることこそが、エリートの名誉の維持につながり、権威の再生産につながると展望しています。
   さて結果的には、400メートル走はまさに、驚異的な持久力と心肺機能を備えたエリクに最適の競技種目で、彼は金メダルを獲得します。ハロルドは200メートルでは敗北しますが、100メートルでは栄冠をかちとります。

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