2002年にアメリカやヨーロッパで公開されたこの映画の原題は Who is Cletis Tout ? だ。そのまま訳せば「クレティス・タウトとは何者だ?」という題名になる。日本におけるDVDリリースでの邦題は『クライム&ダイヤモンド』で、原題とはいささかイメイジが異なった題名になった。
このように、原題と邦題がずいぶん違った題名になるのは、言語ギャップもさることながら、欧米と日本とでの一般民衆の物語に対するセンスのギャップ、いやそもそも知性あるいは知的関心が向く方向の違いによるものというべきかもしれない。
日本人は一般に、ひねった題名をめぐって想像をめぐらすことを面倒がる傾向が強く、まして外国語音痴がそれに輪をかけている――少なくともDVD配給会社はそう見ているということだ。
これは犯罪者の世界を描いてはいる物語だが、しゃれた「大人のファンタジー」コメディになっている。それも「古典的的名作映画」好きにはたまらない作品となっている。
ナレイター兼狂言回し役は、なんと凄腕の殺し屋。しかも、この殺し屋は律儀な倫理観を持つモラリストで「悪党しか殺さない」と嘯く。そのうえ、大の映画フリーク。古典的名作映画の世界に浸りきって生きている。
というのは、殺し屋は、彼が憧れてやまない古典的なモラルはもはや古典的名作映画のなかにしか存在しないと世の中を拗ねているからだ。そして、世の中の出来事を斜に構えて毒舌で切り捨てて生きているのだ。
犯罪組織からの依頼を受けて殺し屋が捕まえた標的は、フィンチと名乗るけちな文書偽造犯だった。その男は、過去に略奪された巨額のダイアモンドを捜していた。殺し屋が聞き出す形で、その、盗まれた宝石探しをめぐる奇妙な物語が描かれていく。
フィンチが語る物語にいたく興味を示した批評家ジムは、この事件をハッピーエンドのラヴロマンス風に仕上げようと事態の流れを仕切ろうとする。そのため、恋人テスと別れてきたフィンチをけしかけた。「テスを呼び戻せ」と。こうなれば、ジムはすっかりメガフォンを振り回す映画監督気取りである。
この物語の進行役、狂言回しは、凄腕の殺し屋である。
この男は、古典的な映画作品おたくで、殺しの仕事の合間には、古い名画を上映する映画館に入りびたっている。そして、古典的作品の世界の(主人公たちの)生き方や行動スタイルをお手本に世の中を渡ろうとするロマンティストでもある。
そんな殺し屋が狂言回し役なので、物語全体が、古典的映画作品へのオマージュやパロディで飾りつけられている。映画好きには、なかなかに興味深い作品だ。
物語は、宝石強盗やマフィア社会、そしてケチな小悪党が立ちまわるできごとを描いた「おとなのファンタジー」。
二十数年前のニュウヨークでのこと。1人の大道奇術師が街頭でのイリュージョン・パフォーマンスを利用して、ダイアモンド取引所から数百万ドル相当の宝石を盗み出して、原野に隠した。けれども、直後に逮捕されて、刑務所送りになった。
それから二十数年後、奇術師マイコーは、文書偽造犯として服役していたフィンチと語らってともに脱走して、宝石探しを始めた。ところが、2人に用意されていた偽の身分証明書の本人の片方が、マフィアから命を狙われているフォトジャーナリストだったため、2人はマフィアが送り込んだ殺し屋たちに命を狙われる羽目に陥った。
マイコーは殺され、フィンチは逃げ回ることになった。
彼を捕まえたのが、その道のプロの世界では超一流と評価される殺し屋――人呼んで《批評家(毒舌)ジム》だった。世の中全体に対して斜に構えている男なのだが、現代の映画作品に対してはことのほか毒舌を浴びせるので、批評家(毒舌)ジムと呼ばれているのだという。
ジムは殺し屋稼業をしているが、なかなかの人情家でモラリストだ――昔気質の倫理を何よりも尊重する立場に徹している。だから、殺す相手はマフィアさえ辟易するような悪党だけと決めていた。
ジムは、ケチな小悪党フィンチがマフィアが探しているような悪辣な人物ではなさそうだと気づいて、フィンチがマフィアに追われるようになった経緯を聞きだそうとした。古典映画に匹敵するような感動的なストーリーを語ったら、フィンチを逃がすつもりだったのだ。
かくして語られる奇想天外な物語。コメディなので、肩の力を抜いて楽しんでほしい。
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