ところが、多数の民衆を引き寄せる影響力について懸念するのが権力装置、そして権力の保有者=支配者である。彼らは、民衆に大きな影響力をおよぼす人物やできごとに対しては、自分たちの言いなりにして既存の秩序に取り込んで統治や支配に利用するか、それが不可能ならば「危険分子」として排除し押しつぶそうと力を行使する。
ヴィーン警察の警視――捜査部門のチーフ――であるヴァルター・ウールは、市街の肉屋の息子だったが、才能を買われて警視にまで取り立てられた。今では、皇太子・大公、レーオポルトの片腕=腹心となっている。
大公からは、警察官僚としてこのまま自分の影響力下で活躍し続ければ、やがて彼が王位を得た――オーストリア王への就任は帝位の獲得となる――のちには内務大臣の地位を約束しようと言われている。
要するに、ウール警視はそれくらい高い資質を備えている切れ者の警察官僚なのだ。
しかしヴァルターにとっては、はるか雲の上にいて、平民出の自分たち役人に対して――しごく当然に――尊大で傲岸不遜な態度を示すレーオポルトが煙たかった。むしろ、鼻もちならない権力者で、嫌な個性だとさえ感じていた。だが、立身出世のためには「贔屓の殿様」が必要だった。
そのヴァルター警視は、はじめはアイゼンハイムの幻影の興行に対して、民衆への影響力の大きさを懸念するという理由で興味を覚えた。だが、興行劇場で1度幻影術を見てからは、しだいにアイゼンハイムの能力と魅力の虜になっていった。
もちろん、ヴァルターは科学的捜査とか論理的な推理の方法を身につけていたので、アイゼンハイムを超能力者と信じたり、オカルト的に魅了されたわけではない。むしろ、幻影術の仕かけやカラクリをぜひとも知りたかったのだ。
だが、いくら冷静に観察しても、仕かけやカラクリは見抜けなかった。
そのことで、あまりに見事な仕かけやカラクリをつくり出したアイゼンハイムを畏敬するようにすらなっていった。
そこで、はじめは「インチキ興行師」として威嚇して追い出し、民衆への影響力を削ぎ落とそうとしたのだが、やがて一流の芸術家に対するような態度に変化していく。
ところが、はるか雲の上からヴィーンの状況を見ているレーオポルト大公は、もちろんヨーロッパでも最高の大学教育を受けてすぐれた科学的知見を備えた貴公子だった。だから、アイゼンハイムの幻影術を胡散臭い興行と見ていた。
幻影術の噂は、宮殿に出入りする特権富裕商人たちや俗界に興味を抱く貴族たちから聞こえていた。
もとより多数の民衆を惹きつける人物は、ヴィーンの秩序・公序良俗を乱す危険性がある、と支配者は見る。しかも見世物が幻影術とあっては、ヴィーンきっての科学者でもある大公としては、カラクリを暴いてアイゼンハイムの威信を掘り崩してやろうという野心があった。
そうすれば自分の威信と声望はいやがうえにも高まるというわけだ。
人物設定ではレーオポルトは、頭抜けた秀才で鋭い洞察力を備えた人物のようだ。しかし、権力保有者にありがちな自己過信に陥っているようでもある。
大公はある日ヴァルターを呼んで、最近ヴィーンの巷で評判となっているアイゼンハイムの幻影術について尋ねた。ヴァルターは、幻影術はあまりに見事で隙がなく、仕かけやカラクリを見抜くことができない、と答えた。
すると、大公は、「では、私が出向いて化けの皮をひん剥いてやろうか」と言い出した。