だが、その期間に、村長選挙の告示日は過ぎていた。天野は立候補できなかった。
天野与三郎は自分の代わりにというつもりで、タケに村長選挙に立候補するように頼んでいた。しかし、タケは仕事もまともにできない自分は無価値だと思っているので、躊躇した。
だが、これまでさんざん迷惑をかけ世話になった村人に恩返しするために、立候補することにした。なかぬっさんにも「そんな無価値だと思っている自分を捨てちまえ。自分を捨てて面倒を見てくれた与三郎のへの恩返しだ」と言われたからでもあった。
こうして、かむろば村の村長選挙では、青砥議員の支援を受けた佐藤伊吉と、前村長天野与三郎の支援を受けたタケとの一騎打ちとなった。まじめな伊吉は青石市との合併を含む政策を公約として選挙戦に臨んだ。
一方、トンチンカンなタケはありのままの今の自分をそのまま押し立てて村民に訴えた。
「何も買わない。なにも売らない。ただ生きていく」をスローガンとしたのだ。だから、あの便利屋の幟を三輪自転車に立てて、村中を回った。
しかし、村人はタケの選挙演説にはほとんど関心を示さなかった。
伊吉の遊説には多くの村人が集まっていたが、タケの周りにいたのはみよんつぁんやいそ子、亜希子のほかには数人の老人たちぐらいだった。
それでも、タケは村の中心部、「スーパーあまの」の前で演説を始めようとした。だが、なかなか声が出せない。
そんなところに冤罪が晴れて釈放された天野与三郎が現れ、応援演説を始めた。
「ご存知のように、タケは自分のためには1円もジヌを使わずにこの村で生きていこうとしている。ほでなす(バカタレ)だが、そういう人物の方が村民たちのために働いてくれるだろう」と。
村長の声が拡声器から流れてきたため、多くの村人が集まってきていた。
応援演説を受けたタケは、店のなかからブリキ製のバケツを持ち出すと、そのなかに札束を放り込んで揮発オイルをかけて火をつけた。天野は止めようとしたが、亜希子に止められた。
こうしてタケは、村人の前で100万円以上の札を燃やしてしまった。驚いて見守る村人たち。 そして、「これで私は本当に無一文になりました。生身の私だけです……」と訴えた。
おそらく故意に紙幣を焼くことで通貨を棄損する行為は犯罪になるはずだ――国家の財産への棄損と権威への反逆と見なされるからではないか――が、ここでは喜劇フィクションということで……。
タケの演説内容は、自分が掲げる政策綱領の表明ではなく、自分の生き方を民衆(選挙民)の前で公言するというものだった。要するに、アイデンティティの自己確認だ。