さて、ヴィクター・フェルスター刑務所は、内陸部の山岳の麓にある穏やかな気候の農場のなかにある別荘のような場所で、そこへのマンデラの移監は、当局としては、ANCおよびマンデラと交渉をおこなうための過渡的な措置だった。その交渉によって、平和的な形でアパルトヘイトを廃絶して黒人に市民権を付与し、あらゆる人種に政治参加の権利を与えるレジームを形成するための妥協策を見出すことが求められていた。
交渉の時期までマンデラの身の安全を保証し、交渉準備のためにANCの指導部とマンデラが協議できる場所を提供するためのマンデラ移送だった。
広大な農場に取り囲まれているヴィクター・フェルスターは、確実な警護体制を敷くことができるから、マンデラ暗殺を企図しそうな白人右翼過激派の接近を阻止することができるということだった。
白人支配階級のトップエリートは、そのような戦略を立てていたが、政権の頂点に居続けるボタ大統領ら守旧派は、頑なにマンデラおよびANCとの交渉を拒んでいた。白人支配階級は内部に深刻な分裂と路線対立を抱えていたのだ。
ところが1989年、ボタは心臓発作で倒れて大統領職を辞さざるをえなくなった。変わって大統領府を指導することになったF.ウィレム・デクラークは、1990年2月にマンデラを解放して、1994年までにANCとアパルトヘイト廃絶と黒人政治参加の制度づくりのための交渉を始めると宣言した。
1994年にアパルトヘイトを廃止するという変革=改革の計画を公表したのだ。
1990年2月11日がやってきた。マンデラの政治犯としての拘束が解かれる日だ。
マンデラの住居に政府の特使として准将が訪れた。彼は、マンデラに身柄の釈放を保証する書類を手渡したあと、ジェイムズを呼んだ。准将は、これまでマンデラの信頼を獲得して彼とと公安部・政府との情報回路を確保し続けてきたジェイムズを2階級特進させて中尉に任命した。
「ジェイムズ、ずいぶん偉くなったじゃないか。今後はもっと敬意を払わなくちゃな」とは、マンデラの祝いの言葉であるとともに、マンデラをめぐる刑務官としての任務を完了したジェイムズへの慰労の言葉だった。
ジェイムズはマンデラへの餞別と祝い品として、かつて親友の黒人少年、バファナから選別にもらった「ウサギの足」を手渡した。
そのあと、マンデラは農場刑務所のゲイトまでの長い道を車で送られていった。
ゲイトの外には、マンデラの解放を歓迎する多数の人びとと世界中の報道メディアが待ち構えていた。群衆のなかにはグローリアがいた。
グローリアは昨夜、ジェイムズに「マンデラさんとはまだ一度もお目にかかっていないわね。彼の話は毎日聞かされているのに、残念だわ」と語っていた。刑務官の妻だが白人一般市民でしかないグローリアが、黒人政治犯マンデラと会う機会がなかったというのは、当たり前の話だ。
グローリアは、群衆と握手を交わしメディアのレポーターに包囲されながら歩きだしたマンデラに、声をかけた。 「マンデラさん、おめでとう」
これが最終シーンで、その後の南アフリカとグレゴリー一家の変化を語るテロップが流れる。
■■ほんの「きのうのできごと」■■
南アフリカ共和国でアパルトヘイトが公式の制度として廃止されてから22年が経過した。2010年にはこの国でFIFAワールドカップ・サッカー大会が開催され、どうにか無事に、しかも盛り上がって終了した。競技場には、世界中からの観客はもちろん、国内からの観客が詰めかけて、人種の差別なく観戦や応援を繰り広げた。
アフリカ大陸の諸国民は、ポスト・アパルトヘイト時代の人種融合と経済発展の足がかりにすべく、アフリカ代表のティームにこぞって熱烈な声援を送った。鳴り響くブブセラの音。
その状況は、わずか22年前まで、この国がアパルトヘイトという制度によって分断され、深刻な暴力をともなう政治的敵対で分裂していたことが、まるで遠い過去のようにすら感じられる。まさに隔世の感がある。
とはいえ、半世紀以上にわたって執拗に構築され固守された人種隔離と差別の制度が生み出した格差は、それほど容易に解消できるはずもない。サッカー・ワールドカップは、むしろ今後の差別や格差の解消、敵対の修復のためのカンフル剤、分配の格差(人種による貧富格差)を縮減していくための経済成長の起爆剤として用意された「贈り物」でしかない。
白人と黒人(有色人種)とのあいだの差別と隔離が制度的に解消されてみると、今度は、アパルトヘイトという政治的レジームそのものによってではなく――もちろん「再生」の出発点そのものにおいてすでに大きな格差と不平等が横たわっているのだが――、資本主義的経済それ自体の論理がもたらす格差や貧困が日ごとに拡大再生産されていくのを見ることになった。
報道では、黒人の内部での部族間や地方・地区間の格差、そして政治的指導を担うことになったANC内部での特権階級とそれ以外の人びととの格差や対立が目立っている。マンデラ亡きあと、彼の妻と取り巻きらの酷いスキャンダルも取り沙汰された。
名目上の政治的平等が謳われる社会状況のもとでは、経済の仕組みがもたらす格差や貧困はかえって耐えがたいものになるという。
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