ところで、私たち日本人は敗戦後の公教育のなかで、「民主主義においては、身分による差別はないもの」と教えられて育ってきた。そして、日本の天皇制は王制というよりも完全な(純然たる)象徴とされている。皇室の私有財産というものはなくなっている。これは、非常によくできた制度で、身分秩序がない社会で1つだけ人びとの上に立つ特殊な身分を設けるための巧妙な制度だ。それはそれで、特有のアポリアがあるのかもしれないが。
ところが、欧米型民主主義が定着した社会では日本の制度は例外のようだ。
軍部独裁レジームによって推進された太平洋戦争が、外観上は、天皇の統治権や統帥権の行使という明治憲法の擬制論理を利用しておこなわれたことから、敗戦・占領という状況下で、日本の民主化・軍事的無害化のために、共和制にしないのなら、天皇制をきわめて特異な形態で保持する必要があったということなのだろう。
そのおかげで、私たち日本人は民主主義と身分制(王制や貴族制)について、ヨーロッパ人よりもはるかに進歩的なものの見方を獲得することができたといえる。民主主義と身分制とは両立しがたいものという考えだ。
では、民主主義と王制や身分秩序とは両立しないものなのだろうか。
理論的には「しかるべし」という答えになるかもしれないが、ヨーロッパの歴史と現実を見れば、答えは厳然たる「否」である。
もちろん、ここでは、今や《経済的身分制》というものが確立されていることは、度外視しておこう。それは資本主義では当然のことなのだから。
ここでは、ヨーロッパの民主主義というものが、王室身分や貴族身分という特権制度をともなう身分制を不可分の部品としているのだという事実を語ることにする。
ブリテンには王室もあれば、貴族制もある。成文憲法がないので、憲法上の王室の位置づけはコモンロー的慣習によっている。だから、一面では、いまだにブリテン王国の政治的空間や政府は王室のもの、王の政権である。そして、王室は政府の管理監督から相当程度独立した直轄地(王領地や宮殿や城館など)を所有している。そこから莫大な収入が上がるのに、ほとんどに課税はされないし、あまつさえ、国税から王室に御料費が予算配分されている。
だから、ギネスブックは、世界最大の資産家――私有財産を持つ家門――の1つにブリテン王室(とその当主)の名を掲げている。つまりは、広大な所領と大規模荘厳な城や宮殿は、王室の私的財産なのである。
だが、政府の運営には王室は口を出さない。「君臨すれども統治せず」すなわち「国家のなかで最大の資産家・地主として王位を保有し君臨はしているが、統治に関する意見の表明はしない――もちろん王家のメンバーとしては」という意味だが。
そして、王室を中心として有力な大貴族の家門=爵位がそのまま残っている。王を頂点とする貴族身分制はブリテンの民主主義の不可欠の部品なのだ。
たとえばプリンスは、王太子または女王の夫君として王家の直接の構成員である公。遠い昔、複数の侯国に君臨した有力な王だった家門としてのデューク(公)。地方侯国の王だった名門家門としてのアール(伯)。王の代官で古くは王家の出であるカウント(伯)。そして伯家の嫡子たちからなるヴァイカウント(副伯)。
そして、実質的に世襲のバロンと当代限りのバロン――功績顕著な市民エリートのなかから内閣の助言を得て王室が叙爵する。
日本では、かつて「公侯伯子男」という爵位の序列をつくり、それをブリテンの貴族制の訳に移しかえているが間違いである。
バロンは「男爵」ではない。
バロンの起原は古く、11世紀後半のノルマンディ王権によるイングランド征服にさかのぼる。本来は、このとき、ノルマンディ公ウィリアムの指揮下で征服に参加した領主たち、すなわちやがて王となったウィリアムの直接授封臣(旗本貴族)をバロンと呼んだ。
その後、王によって叙任された貴族をバロンと呼ぶならわしができた。だから、公爵でも伯爵でも、直封臣ならバロンである。もちろん、最下級の貴族も含む。
今でも、たとえば女王の夫君は、エディンバラ公としては独自の超上級貴族だが、フィリップ公としてはバロンである。というのも、エリザベスが即位後結婚してときに、夫を共同の王位保有者にはできないが王室の一員として最高位に上げるためにプリンスの位を叙爵したからだ。
というわけで、バロンを男爵と訳すことはできない。
副伯も、将来の伯の候補であって、伯を補佐する身分だからカウントのヴァイスとして「ヴァイカウント」なのだから、子爵と訳すというのは噴飯ものである。もちろん、呼び名(まして邦訳語なんか)は、記号でしかないのだが。
さて、ほとんどの新規のバロンは1代限りということだが、古くからのエリート家門はパブリックスクールやオクスブリッジなどの学歴やメリトクラシー、人脈、資産によって金融・貿易や官庁、メディアの顕職に一族子孫を送り出し続けている。そして、長年勤めあげれば、その功績を認めて、ほぼ自動的にバロン授爵となるから、大きなトラブルのない有力家門はだいたい世襲のように世代を継いでバロンが輩出するようになっている。
要するに、金融資本や商業資本の上層家門、中央政府の上級職のある部分は、ときおり新たな血を入れ替えるが、特定の狭いインナーサークルによって受け継がれ、囲い込まれて、富や特権、政治的影響力の主要な部分は、外部に分散しないような仕組みになっているのだ。
もちろん、そのために必ずしも「身分制」や「貴族制」が必要というわけではない。問題は、身分制がレジームの安定的な持続・継続にとってきわめて有益な役割を果たしているということなのだ。
アメリカ合衆国にも、経済的・金融的貴族制に加えて、それと結びついた政治制度として連邦議会元老院制(上院)がある。飛び抜けた資産家家門からなる元老院は、議席=議員職身分が、長い世代にわたって1つの家門・家系に引き継がれる。もちろん、アメリカだから、成り上がり者の新参は頻繁だし、衰退した家門の没落も起きる。
このほか、第2次世界戦争で勝利した連合諸国と中立国家には、だいたい王政が残っている。枢軸国側でも、ソ連の侵略を受けなかったところ、そして冷戦構造下での安定政策上、必要なところには、王政が残された。
もちろん、貴族身分制まで残された国家はわずかだが。
とはいえ、有力貴族家門は、財界有力メンバーとして残っている場合が多い。
というわけで、西ヨーロッパでは、ブリテン、ネーデルラント、ベルギー、スウェーデン、ノルウェイ、デンマーク、エスパーニャ、ルクセンブルク、リーヒテンシュタインなどには王政が残っている。驚くほど多い。
ネーデルラントやスウェーデンの王室では王女たちが反戦デモのパレイドに参加して世界的な注目を浴びたこともあった。
マスデモクラシーと王政・身分制とは、相当に両立するというよりも、じつに親和的なのだ。
どうせ経済的な格差がつくのなら、伝統や箔がついていた方が収まりがいいのかもしれない。
| 前のページへ |