さて仮の話として、絵画蒐集家が運よく、すぐれた絵画を非合法の手段や闇市場から手に入れたとしよう。だが、名画を自分が独占しているという目先の欲望を満足させているだけならいいが、やがてそれだけでは済まなくなるときが来る。
その人の寿命が尽きて、遺産が誰かに相続される場合に、いろいろトラブルが出てくることは避けようがない。まあ、それとしても、自分の子孫に秘密裏に相続させることができたとしよう。
こうして、非合法に得た絵画を個人や家系によって長期に所有・保有することになると、いよいよ問題が出てくる。
そういうディレンマとは、保存状態を良好に保つ手段、あるいは経年劣化をカヴァー――補修・修復――しなければならないということだ。美術品としての作品性と商品価値の両方を保つために。ところが、闇市場で調達できるような修復技術や画家(画工)では、歴史的な名作をしかるべき品質で再生することはできない。
作品が価値があればあるほど、表の世界で名を成している鑑定家や画家(修復画工)とか材質取引業者、そして鑑定などの調査機関に依存しなければならないからだ。画布地の年代分析や修復の専門家、絵具の分析能力、美術史の専門家などなど、多角的に検討しなければまともな修復はできない。
国家や有力都市政庁は威信や名誉を賭けて、こうした専門家のネットワークへの関与手段をつくり上げているのだ。水をも漏らさぬ感知システムをめぐらせて、あわよくば国宝扱いにしようと狙っているのだ。古典的な傑作美術品を保有することが権力や権威の発信のためにどれほど重要かについて、都市や国家は中世のヴェネツィアやフィレンツェ、フランス宮廷の頃から経験と学習機会を積み重ねているのだ。
そうなると、非合法の所有や保有がばれてしまう。
さもなくば、いい加減な修復で絵画の歴史文物、美術品としての価値が著しく下落してしまうし、そもそも観賞していて面白くないし、満足できない。
どれほど金持ちでも、個人や私人として非公開にできる修復や分析などは、たかが知れている。独占欲を一時的に満足した蒐集家は、しからば、とめどなく劣化していく絵画をただただ指をくわえて眺め続けるだけだ。
そうなると、美術品鑑識家としての高いプライドが満足できないだろう。
結局、絵を蒐集できるほどに裕福な人にとって一番賢い絵画蒐集は、自分で保有することではなく、大金をかけて保存し必要に応じて修復をしてくれる公の施設(美術館)の絵をじっくり見にいくことだろう。世界中を回ってでも。非合法に手に入れるよりもずっと安上がりだ。
そのため、富豪の美術蒐集家のなかには、作品の所有権を自らに留保しながら美術館に預託し管理権を譲渡する者もあるという。さらには、たとえばイザベラ・ステュアート・ガードナーのように自ら美術館を設立し、作品群の所蔵管理のために財団を立ち上げる場合もある。
もっとも、美術作品をいつでも間近に見ることができる(観賞できる)ことではなく、自分がそれを所有=独占しているという病的な欲望の満足を優先させる人種にとっては、作品を見るだけでは不満なのだろう。それは、もはや美術愛好家ではなく、ただの我利我利亡者でしかないような気がするが。