一方、孝夫もまた自分の生き方について心を決めたようだ。恩師、幸田の「何ごとも姿こそ大切で、姿は心を映す」という言葉を心の底に保ちながら、肩の力を抜いて日々の生活のなかで浮かぶ想いをそのままに執筆しようと。
「姿こそ心を映すものであるがゆえに、大切なのだ」という言葉の意味は、「大事な想いは必ず形に表せ」、「必ず形に現れるがゆえに、普段の心構えを大切にしろ」ということなのだろう。孝夫の仕事に引きつけて言えば、「余計な飾り立てをしないで心根が伝わるような文章を書け」ということなのだろう。
この村に移住してきてから7か月。孝夫は村の診療所の非常勤医師を勤める美智子を見守りながら、家事と雑用、そして近所の農家の手伝いに明け暮れる日々。この奥信濃の小村の生活から目をそらさず、そこで何を見、何を感じたか、現実の生活の重みをしっかり感じながら、飾らず、軽薄な言葉遊びに陥ることなく少しずつでも文章を書き続けようと決心した。
自分の執筆について意思を固めたとはいえ、さほど金になるほどのページを書けるわけではないだろう。優秀な医師である妻の収入に頼る生活を続けるスタイルからは当面脱する見込みはない。これからも美智子の働きに頼り、食事作りや掃除など、家事をもっぱらおこなう「主夫」として暮らすことになる。
とはいえ、ある意味で理想の夫婦だ。孝夫は、美智子を人生のパートナーとして大切にし、人として優秀な医師として尊敬し誇りに思っている。美智子も孝夫に絶大な信頼を寄せている。
ことほどさように孝夫と美智子の夫婦のあり様が描かれる。孝夫は、有能な医師である妻、美智子の陰に回って彼女を支える役割を担っている。現代日本ではかなり珍しい「夫婦像」「夫像」かもしれない。
この映画作品では、おあれこれユニークな登場人物の存在感や生活スタイル、生き様が描かれている。描かれる生き様には、には孝夫と美智子のように夫婦としての姿も含まれている。
孝夫と美智子の夫婦像と一見反対向きに見えるのが、「夫唱婦随」風の幸田重長とヨネの夫婦だ。ヨネは、末期癌で余命幾ばくもない夫を支え、夫のわがままとも言えるような毅然とした生き方にしたがって献身的に世話する妻のように見える。
型にはまった――柔軟に身動きの取れない――ジェンダー理論から見ると、きわめて古いタイプの夫婦像であるかもしれない。
だが、幸田夫妻にとっては、そういう生き様がものすごく自然で居心地が良い関係にあるように見える。互いに相手を深く思いやり、敬愛している対等な人間関係、同志関係であるかのように見える。「役割の性差」を前提としながら、この性差を超えた、かけがえのない「生活の相棒」となっているのだ。
二人の関係はごく自然かつ習慣的でありながら、すぐれて意思的なものに見える。瞬間、瞬間に選択し取る行動が互いに相手への情愛に満ちている。ともに生きることができる残された時間がきわめて短いことを覚悟しているためだろうか。
男女の関係も含めて、人びとは、自分が生まれたときに与えられている(すでに存在している)時代と社会の仕組みのなかで出会い、親愛や愛情を育み、互いを大切にする関係を築き上げていくしかない。不幸にして、不和や仲たがいに陥る場合だってある。だから、長い間、互いに相手をいたわりあう関係を築き上げていくのは、生やさしいことではない。
まして幸田夫妻は、国家が政策として侵略戦争やアグレッシヴな植民地化を推し進め、人びとにその先兵あるいは開拓民となることを強いた時代を生き抜いたのだ。苦難の時代を強い信頼感と愛情で生き延びたのだ。
という意味では、幸田夫妻は孝夫と美智子の夫婦にとっても「あるべき夫婦の理想像」なのかもしれない。
さて、理想像という点では、阿弥陀堂に独り住まうおうめの生き様や眼差しもまた、孝夫と美智子にとって「いかに年老いていくべきか」という理想像というか、目標となっている。
おうめは今96歳だ。年齢から想像するに、阿弥陀堂付近の地形――斜度20°を超えるような坂の山道ばかりなので、高齢者が歩くのは危険――から考えて、もう20年以上も阿弥陀堂とその近くの畑、野原から離れたことがないのだろう。
集落からも離れた阿弥陀堂の堂守として、貧しいといえるほどに質素な生活を送っている。テレヴィはもちろん。ラディオや新聞もない。台所には山の沢の上流から引いた水道が引かれているだけだ。家のなかには小さな電灯があるだけ。
それでも、ときおり阿弥陀堂を訪れる人びとから世間の様子を伝え聞きながら、自分らしい独自の眼差しで世の中の動きを眺めているようだ。そして、孝夫や美智子、小百合など多くの人びとを引きつける魅力の持ち主だ。