一方、孝夫は病棟で病と闘っている小百合のために、阿弥陀堂のおうめに会いに行って話を録音しておこうと考えた。しばらく入院が続いても、録音テープから記事を起こして編集できるようにするためだ。
その頃、小百合は化学療法のために免疫力が極端に低下して重い肺炎にかかっていた。彼女は集中治療室に移されて、しばらく面会謝絶の状態が続いていた。孝夫は小百合の見舞いもできなかかったので、何か小百合にためにできることはないかと考えて、おうめへのインタヴュウと録音を思いついたのだ。
で、おうめにどんなことを聞こうかと項目立てをするために原稿用紙に向かってペンを手にしたが、なかなかいい案が浮かばなかった。というよりも、いつも大変にユニークな観点から含蓄のある考えを語るおうめに会って、こちらで用意したインタヴュウ項目を提示するのが理にかなっていないように思われたのだ。
おうめには自然に思いつくままの言葉を語ってもらおうと決めた。
というわけで結局、おうめに自由に思うままを語ってもらって録音しようという結論になった。この経験は、良い作品を書こうとして前もって余りに構えすぎる姿勢が、かえって自分らしい発想や自然な文章表現を妨げていることを孝夫に気づかせたようだ。
孝夫は良い文章を書こうと肩を張るのではなく、自然に思いつくまま書けそうな文章をまず原稿用紙に記述してみることから始めることにしようと心に決めたようだ。
孝夫は数日後、小型カセットテープレコーダーを持って阿弥陀堂に出向いた。おうめに小百合が阿弥陀堂だよりの記事を作成するための材料にすると言って、おうめの前にテープレコーダーを置いた。
そのとき、孝夫はおうめに小百合の病状――重い肺炎にかかっている容態――を伝えた。すると、おうめは身体を阿弥陀様がいる須弥壇の方に向けて「南無弥陀仏、南無阿弥陀仏・・・阿弥陀様、どうか小百合ちゃんをお守りください」と一心に祈り始めた。
おうめの祈りの甲斐があってか、小百合は持ちこたえ、危機的な容態を脱することができた。
何百人もの患者の死を看取るという経験からいつしか諦めることを覚え、医療の無力さを知った美智子だったが、今回は何としても救命するという信念を貫き、泊まり込みで懸命の治療を続けたのだった。そして治療は成功した。若い小百合の体力と生きようとする力のおかげでもあった。
翌朝、美智子は孝夫に電話して車で迎えに来てもらった。
泊まり込みの治療をした美智子を心配した孝夫だったが、病院の駐車場で車に乗ってきた美智子は、髪が少し乱れていたものの、目にはエネルギーが満ちていた。
「眠ってないのかい(大丈夫かい)」心配げに美智子の顔をのぞき込んだ孝夫が尋ねた。
「仮眠はしたのよ。・・・私、まだ徹夜で患者さんの治療ができるんだわ。自信持っちゃおうかな」
少し憔悴はしていたが、患者の救命治療を成功させた美智子は、医師としての自信を回復できたようで、はしゃぐような明るい反応だった。孝夫は安心もし、また優秀な医者である妻を誇りに思うことができた。