映像物語は、それまで東京暮らしをしていた上田孝夫と美智子の夫婦が、奥信濃の谷中村に移住してきたところから始まる。
原作でも映画でも、せせらぎや谷川、水田と用水、大きな河川、朝露、霧、雪・・・というように「水」が状況設定の非常に大きな要素となっている。人びとの身近にあって、人びとの生活や集落を包摂し、人びとの生存を支える環境の要素としての水。
映画は、春、豊かな水が流れ落ちる滝のシーンで始まる。樹林に囲まれた山間の、雪解け水を集める峡谷の滝だろう。
厳しい冬が去ると、森に囲まれたせせらぎや沢に集まる雪解水の音が谷間に響くようになる。
次いで、ミズバショウ群落の花が咲き始めた湿原。湿原は、まだ葉を落としたままのブナやミズナラ、カラマツなどに取り巻かれている。北信濃では四月末から五月半ばの頃で、春はまだ浅く、山林ではまだ冬の気配をとどめている。
というよりも、雪深く寒さの厳しい信州では、春はかなり短く、芽吹きが盛んになって――たとえば冬枯れで葉を失った樹林などのような――冬の気配が消える頃には初夏が始まるのだ。奥信濃では春とはいえ、周囲の山岳には、まだたっぷりと雪が残っている。
湿原のシーンのあとには、輝くような若葉が繁茂し始めた山々が描き出される。尾根にはまだ靄がかかっていて、沢音が響き、渡り鳥のさえずりが聞こえる。
そして、滔々と流れる千曲川の畔に広がる菜の花畑。菜の花は漬物の材料の野沢菜という株菜で、広い田野をおおう黄色の菜の花は、花四月末から五月、千曲川河岸一帯に出現する光景だ。奥信濃・飯山地方――地元の人は「岳北」と呼ぶ地帯――に特徴的な風景だ。
菜の花畑に迫る山裾には桜の花が咲いている。菜の花と桜の花をともに楽しむことができるのだ。
岳北とは、「高井富士」とも呼ばれる高社山(標高1351メートル)よりも北の地方を意味するが、冬にはこの山を境に気候は一変して名だたる豪雪地帯となる。
飯山市の筑摩河畔から眺望する高社山(こうしゃざん)
地元の人は「たかやしろ」とか「高井富士」と呼ぶ
・・・さて物語の冒頭、山裾から山腹まで続く小径を孝夫と美智子が登っていく。山腹には小さな阿弥陀堂がある。二人は移住の挨拶回りも兼ねて、近所の阿弥陀堂に住む老女おうめを訪ねようとして山道を歩いていた。
孝夫と美智子にとっては、かなり高齢なおうめの健康状態に気配りしてのことだった。
冒頭のシークェンスに登場する風景は、孝夫と美智子がこの村で目にするはずの、あるいは今山道を登りながら眺めている、あれこれの光景なのだ。
山間の小径は深い野草や樹木に覆われている。強い陽射しを浴びた木々の葉や草は白くまぶしく輝き、根元や木陰の部分は闇のように黒く沈んでいる。眼を射るような陽光と日陰の暗さ、この明暗の差が信州の風景の特徴なのだ。
坂道を登る二人の歩みに合わせるように、ピアノとパンフルートが心安らぐ戦慄を交互に織りなすテーマ曲「風のワルツ」がゆったっりと流れる。郷愁を誘う3拍子のメロディ。曲名のとおり、阿弥陀堂がある山の斜面に向かって千曲川河畔からゆったりと吹いてくる風が、木々の葉や草を揺らすような楽想だ。
雪の妙高連峰
阿弥陀堂は、山腹の開けた斜面にある。背後には深い森が迫っている。そこから、山裾に広がる田園と菜の花畑、おおらかな千曲川の流れを見おろすことができる。そして川の向こうに続くなだらかな尾根の彼方には、まだ深い残雪をたたえた妙高連峰が見える。
「こんなところだったんだ・・・」孝夫は帰ってきた故郷の風景を眺めて呟いた。
「はーっ、これからここで暮らすのね・・・」深いため息をつきながら孝夫の呟きに答えるように、美智子が言った。孝夫には、それが田舎暮らしへの期待と不安が混じっているように見えた。
「うん、・・・これまでずっと息せき切って走ってきたから、ちょっとゆっくりしようってことじゃない?」
美智子は頷いた。
「自分の意思で何でもできるって思ってたけど、違うのよね・・・」
阿弥陀堂にはおうめはいなかった。たぶん近くの畑で野良仕事でもしているのだろう。この阿弥陀堂は、村のこの地区の死者の霊を祀るもので、阿弥陀像を安置した須弥壇の脇の壁には、死者の名を記した多数の小さな木札が並んでいた。