そんな泊まり込みの治療をおこなった深夜、ソーファでくつろぎながら美智子が中村医師に尋ねた。
「中村先生は医者になってからどれくらい亡くなる人たちを診ましたか」
「ぼくは32歳になったばかりで、医者になってからまだ5年目です。ですから、受け持った患者さんで亡くなったのは30人くらいですかねえ」と中村は答えた。
「変なこと聞いてごめんなさいね。私が勤めていた病院の病棟では、私は300人以上の人たちの最期を看取っていたの。
・・・その病院で私が最後に死亡診断書を書いたの患者さんは76歳の男性でタクシーの運転手さんだったの。
・・・私はベッドの脇に立って、だんだん浅くなってくいくその人の呼吸を見ていたのよ。そして、最後の一呼吸が終わったとき、ビルの谷間を抜けてきた夕日が病室に射し込んできて、私のなかから何かがその光の束に乗って窓から出ていってしまったの。
私のなかから抜け出ていったのは『気』なのよね。元気の気。元気のもとになるものかな。私を元気にしていた何か大事なものが、そのとき大量に抜けていってしまったの・・・
そのとき、死者をあまりたくさん見過ぎたのかなあって思ったのよ。 妊娠していたのに子宮のなかの胎児が死んで、体調を崩したのはその直後からなのよ。限界だったのね」
看取り続けたたくさんの死によってエネルギーを吸い取られてしまい、心の病気になったのではないか、と美智子は語った。絶望や鬱屈が重くのしかかり、仕事の動きを何かしようとすると呼吸ができなくなるほどに心が圧迫され、気持ちが混乱し当たり前の仕事の手順すら記憶も混濁するようになるのだ。
その心の病を癒すために、美智子は夫の孝夫とともにこの村に移り住むことになった経緯を語った。
「・・・私が夫の実家があるこの村に来たのは、病気を癒すのが第一の目的だったの」そう言って美智子は深く腹式呼吸をした。
「(こんなにみごとな治療を連日こなしてきた)上田先生は病気なんかに見えません。お元気ですよ!」と中村は頷きながら返答した。
「病気っていえばねえ、私は医者のくせに『病気』と『単なる身体の故障』の区別がつかなかったのよね。
癌で死期が迫っていても病気でない人もいれば、ちょっと長引いた風邪で重い病気になってしまう人もいるのよ。問題は心を病んでいるかどうかなのよ。
重篤な疾患にかかっていても心を病んでいない人は病人ではないのよ。そういう患者さんているでしょう。前向きな生き方にかえってこちらが励まされてしまうような末期の患者さんが・・・」
「ええ、います。そういう人、います」中村医師は美智子笑顔を向けた。
そのとき美智子が思い浮かべていたのは、末期の胃癌で死期が迫っているが凛として毅然と生きる幸田老人の姿だっただろう。晴れれば布団干しをやり、了寛上人を手本に習字に励む姿を。
そして美智子は中村医師に、医師としての死生観は年齢を経るごとに変わっていくもので、その死生観に立って医師は患者と接することになるのだと語った。