山間の山村の季節ごとの風景の移ろいを写す映像には、季節ごとの農作業とともに盂蘭盆、精霊流し、煙火、十五夜、秋祭り、冬祭りなどの行事もまた描き込まれている。私たちの世代の信州人は――多くの日本人はと言ってもいいかもしれない――は、人の暮らしを山野の自然風景と一体化させ、そのなかに包摂されているものと観ている。
それは日本の農村生活や歳時記を自然風景と結びつけて記憶することにもつながっているだろう。人びとの行事のその向こうに山野の風景の季節ごとの推移を想い描いているということだ。
その意味では、この映像物語は日本人の――農村生活と結びついている――典型的な季節感、自然観を表現していると言えるだろう。
さらにこの物語は、奥信濃の過疎が進んでいるであろう農村を舞台にしているが、映像に組み込まれたシーンは暖かな眼差しに満ちている。原作では描かれていない「独自の作品世界」をつくり上げている。
美智子が診療所に非常勤で勤務し始めてから半年が経過した。彼女の医師としての評判は上々だった。診療所にやって来る老人たちの話をじっくり聞いてやり、しかも診断は的確だった。
一方、孝夫は村の月刊広報誌を地区内の家々に配って歩く役割を近所のおばさんから引き継いだ。広報誌を配って回るついでに、独り暮らしになっている老婆の話を聞き、困っていることやニーズを拾っているようだ。そのなかには、戦争直後に中国大陸から引き揚げてきた苦労話を聞き取るということもあった。
さらに孝夫と美智子は、村の子どもたちと知り合い仲良くなった。2人は彼らと一緒に神社の境内で鬼ごっこをして遊んだ。過疎化が進む農村に未来を生きるはずの子どもたちを登場させるのは、村の将来に希望があることを示し、何かほっとするシーンだ。
そんな景観が実際に存在してほしいと願いたい。
ひとつの映画作品としての『阿弥陀堂だより』は、奥信濃の農村生活に溶け込んでいきながら「自分らしさ」を取り戻していく孝夫と美智子の姿を描いている。「自分らしさ」の回復とは、ここでは、村人とのつながりを築くなかで、生活環境としての農村のなかで生活者としての自分の位置=場所をつくっていく過程なのだ。
その過程を描き出すということは、すなわち、2人が暮らしているこの農村――人びとの暮らし――と里山の四季の姿をとらえるということになる。
そういう光景はまた、孝夫と美智子の視点からとらえられたものでもあって、その眼差しの中心にあるのは阿弥陀堂に住まうおうめの姿であり、『阿弥陀堂だより』に掲載されるおうめの言葉となっている。
『阿弥陀堂だより』のおうめの語り口には、長い人生を経た老婆のじつにユニークな見方が込められている。
《阿弥陀堂だより》
お盆になると亡くなった人たちが阿弥陀堂にたくさんやってきます。迎え火を焚いてお迎えし、眠くなるまで話をします。話しているうちに、自分がこの世の者なのか、あの世の者なのか分からなくなります。もう少し若かった頃はこんなことはなかったのです。怖くはありません。夢のようで、このまま醒めなければいいと思ったりします。
《阿弥陀堂だより》
娘の頃は熱ばかり出していて、満足に家の手伝いもできませんでした。家の者も村の誰もが子の娘は長生きできないだろうと言っていたものでした。それがこんなに死ぬのを忘れたような長生きになってしまうのですから人間なんて分からないものです。歳をとればとるほど分からないことは増えてきましたが、その中でも自分の長生きの原因が一番分からないことです。