東松学園は剣道の名門校だ。とはいえ、その名声のほとんどは男子剣道部が打ち立てたもので、女子剣道部はそこそこの強豪ではあるものの、男子のように圧倒的な強さを誇示するほどには達していなかった。
香織がより高いレヴェルで修練を積み、高校女子剣道部で全国制覇するためには、もっと強豪の高校に進学した方がよかったはずだが、彼女は中学時代に負けたただひとりの相手と再戦して雪辱する方を望んだというわけだ。
さて、入学式の日、香織はひょんなきっけで早苗と出会うことになった。中等部からの剣道部の仲間とふざけているうちに、早苗が香織にぶつかって転んでしまったのだ。
とはいえ、香織はあの負けた試合のときには防具面越しにしか対面していないので、早苗の顔は知らない。香織は、倒れ込んだ早苗を助け起こすために、右手を差し出した。そして、振り向くと遠ざかっていった。
香織の動きはきびきびしていて無駄がない。そのうえ、入学式なのに、般若面をあしらった竹刀袋を携えていた。
「なんか強そうだね。あの子」というのが、早苗の第一印象だった。
さて、いよいよ女子剣道部の稽古が始まった。新1年生たちは、技量の見極めのために、全学年による個人総当たり戦の練習をすることになった。
何番目かに登場した磯山香織は、同学年性も先輩も関係なく、修羅のごとくすさまじい攻撃を仕かけ、相手を次々に打ち据えていった。というのも、神泉旗戦で負けた甲本早苗を見つけ出そうと、本気で打ち込んだのだ。
やがて、その独特の足さばきと中段の構えから、あのとき自分を打ち負かした相手を見つけ出した。その相手は、香織の激しい突進と打ち込みから逃げ回るばかりだったが、香織の面や小手、胴への打ち込みをすべて捌いて(受け切って)いた。
早苗は香織が中学剣道チャンピオンだと知って、力の差を意識し、はじめから逃げ腰だった。
反撃してこない相手に苛立った香織は、鍔迫り合いに持ち込んで早苗を押し倒し、面に竹刀を打ち込み続けた。理由は、早苗を追い詰め本気で反撃させようとしたからだ。
部活顧問の小柴先生は太古を叩いて、倒れ込んだ相手の面に竹刀を叩き組み続ける香織を止めさせた。
ところで、その相手の前垂れには「甲本」ではなく、「西荻」という名が書かれていた。香織はライヴァルだと思っていた相手が「へなちょこ」だったことに拍子抜けし、むしろ愕然としてしまった。
部活終了後、香織は小柴に訪ねた。「西荻の姓は甲本ではないんですか」
小柴の答えは、「ある事情であの子の両親が離婚したために西荻という母親の姓になったんだ」
「あたしは神泉旗杯であいつに敗れたんですが、あいつはいつもあんなもんなんですか」
「西荻は中等部の剣道部からの持ち上がりだが、中学生のときからあんな感じだったぞ。 ところで、磯山は何でそんなにイラついているんだ」
「あたしは勝つために剣道をしているんです。私が負けた相手があんな「へなちょこ」なんてがっかりです。私は勝負で負けた相手には『次は斬る』という覚悟で稽古して対戦するんです」
「お前には勝負に負けて『折れる心』とぴうものはないのか」
「そんなものはありません」