一方、西荻早苗は、中学時代に磯山香織に勝ったことをすっかり忘れていた。というのも、早苗は「剣道は楽しくやる」という考えで、勝負にはこだわらない、いやこだわりたくないという姿勢だったからだ。
原作では、早苗は幼い頃から日本舞踊を習っていたのだが、東松学園には日本舞踊がないので、「和の道」を究めようとする剣道なら日本舞踊と近いのではないかという奇妙な選択基準で中等部から剣道部に入ったのだ。磯山香織の怒涛の攻めを受け切る足捌きと体捌きは、日本舞踊の立ち振る舞いから来ているようだ。
それにしても、早苗は剣道を始めて2年半ほどで、3歳から英才教育を受けて育った香織に攻撃を捌き切ったうえに、隙を衝いて面を取ることができたのだ。独特の身体能力を備えているのかもしれない。
早苗は、ちょっぴり乱暴だが強くて凛々しい香織に憧れにも似た関心を抱くようになった。それで剣道部の親しい仲間と一緒に、休み時間中に隣にある香織のクラスを覗いてみた。すると、香織は窓際の席で宮本武蔵の『五輪書』(文庫版)を左手に持って読みながら、右手には鉄亜鈴を握って上げ下げの筋トレをしているではないか。
お昼休みの昼食時にも、香織は芝生に胡坐をかいて握り飯を頬張りながら『五輪書』を読み耽っていた。まさに剣豪のイメイジだ。
ことほど左様に香織は勝ち負けにこだわっていた。というのも、物心がつく前から、剣道場主の父親から「ひたすら勝ちをめざす」闘争心を高める教育を受けてきたからだ。そして、香織にもそういう才能・資質があるらしく、子ども心に「とことん勝ちにこだわる」生き方を選択したようだ。
そんな香織にとって女子高の部活剣道の稽古は生温く見えたようで、稽古中、先輩にもやかましく気合を入れたり、相手を叩きのめすような戦いを挑んだ。香織の度を越した態度を見かねた主将の村浜が挑んでくると、束を絡めて捻り込んで村浜の手首を傷めるような荒技を駆使した。
それに対して、西荻早苗が「勝負にこだわらない姿勢」にこだわる――勝敗を決する場から逃げようとする――のは、珍奇な先端技術の開発に明け暮れる技術者の父親の悲惨な挫折を目にしたからだった。発明のノウハウを着やすく他人に話したために、技術を奪われたあげく、裁判闘争にも負けて資産をすべて失い借金だらけになり、失踪してしまったのだ。
まもなく母親は失踪後した夫に未練を残しながら離婚手続きを済ませて、母と娘2人の生活を始めた。
原作では、早苗の母親は熟練した絵本童話作家をしているので、夫が家でしたあとでも娘たちを私立学園に通わせるだけの収入を確保できていることになっている。
そして早苗には長身のスタイルがいい姉がいる。原作では高校生で――学校側公認で――モデルをしていて、かなりの収入があることになっている。その姉は、東松学園高等部の剣道部のエースで、長身で好男子の、岡巧と付き合っている。
その岡巧と磯山香織とは、浅からぬ因縁がある。
中学の県大会で岡巧が香織の兄、和晴を打ち破ったため、和晴は剣道をやめたのだ。兄妹の父親は兄をゆくゆくは剣道場の後継者に育てたかったようだが、兄は挫折してしまった。和晴からすると、岡巧に敗れて優勝を逃したあと学校や周囲の目が一転して冷たくなったことから、勝敗という判断基準ばかりが優先され、彼がそれまで積み上げた努力が評価されない剣道のあり方に幻滅したからというのが、剣道をやめた理由だ。
父親は和晴のそういう選択を尊重して、剣道をやめたことについて咎めることもなく、何も言わずにいる。和晴は剣道をやめてから、料理の研究に没頭するようになった。
さて、自分にないものを備えた人間が身近にいれば興味が湧くもので、早苗は香織に近づき友だちになろうとした。学校からの帰り道が途中まで同じということもあったようだ。それに、香織の生き方に何かを感じたのかもしれない。
ある日、早苗は帰り道の草原で香織から竹刀での勝負を挑まれた。
「お前は私に勝ったんだ。本気になってかかって来い」と言いながら香織は竹刀を振りかぶって、早苗の胴に切り込んだ。だが、早苗は「あの勝ちはまぐれだったの」と言って逃げ回り、竹刀を引いてしまった。
そんなわけで、早苗は脇腹に痣をこしらえてしまったが、香織に接近するのをやめなかった。