1970年代後半、アメリカのNASAは有人衛星を火星に送り、地表に着陸させるプロジェクトに取り組んでいた。NASAが航空宇宙の科学・工学を研究する機関だが、莫大な国家予算を割り当てられ、民間企業とも深く結びついている利権組織である。
そこには、政府組織(国家装置)の政治力学がはたらく。
NASAの幹部は権益を拡大しようとして、より巨額の予算を政府から配分されるようにもくろむ。そのために達成成果を強調したり、誇大に報告したるするだろう。
あるいは、ときの政権に媚を売ったり・・・。
他方で政権側では、政権の魅力や権威を高揚させるためにNASAの成果を利用し、研究の方向を政治的に誘導しようとするだろう。
この物語では、最近成果の乏しいNASAの指導部が「有人衛星火星到達」というスローガンを掲げて政府予算配分の大幅増額をねらい、そこに再選を目指す大統領が自分の権威や魅力を高めるためにNASAのプロジェクトを利用しようと目論んだ。
こうして癒着・結託ともいえる利益共同体が形成された。
衛星打ち上げ準備は着々と進み、発射当日を迎えた。ところが、直前、衛星に重大な設計欠陥が見つかった。しかし、大々的に成果を誇示したNASA当局も大統領府もいまさら引っ込みがつかない。
そこでハリウッドを抱えるアメリカのSF映画技術を借用して大芝居を打つことにした。そのままロケットを打ち上げ、その後の中継映像は映画セットで撮影したフィルムを使うことにしたのだ。
国家の威信のために、乗組員はロケットを離脱し、映画セットのなかで虚偽の映像の撮影への協力を強制された。
当然、見かけのうえでは火星着陸は成功する。
火星着陸の模様を写す映像は宇宙中継で地球に送られ、合州国は偉大な成功に沸きかえった。
だが、それは地球上で撮影された映像だった。ところが、地球への帰還にさいして衛星の設計の欠陥が噴き出した。
火星から戻ってきた衛星は、地球大気圏への突入に失敗して燃え尽きてしまった。そして、その事故は報道されてしまった。事故で飛行士たちは全員死亡――ということになる。
NASA当局から見て、3人の宇宙飛行士は彼らは「生きていてはまずい」存在になってしまった。彼らは脱出と逃避行を試みた。だが、2人は捕らえられてしまった。
ただ1人逃れたブルベイカーにも、魔の手が迫る。
一方、テレヴィ記者は、「火星着陸画像」のカラクリを解明しようとしていた。記者は、生き証人としての飛行士を救出・確保しようと闘いを開始した。