NASAの長官や副大統領夫妻をはじめとする観衆を前にして、いよいよロケットは発射態勢に入った。
搭乗用および荷物搬入用のプラットフォームがあと数分で外される段階になった。衛星の周囲で最後の点検をしていた要員たちも引き上げ始めた。発射3分前。
ところで、発射基地への招待者たちがいる展望スタンドは、ロケットの発射事故でロケット燃料が爆発しても安全な距離を確保するために、発射台から少なくとも1マイルは離れているようだ。
発射台の作業員の姿は、芥子粒のように小さく見える。観衆は双眼鏡で発射台を見ている。
そのとき、突然、プロジェクト・リーダーの局長、カロウェイ博士が衛星カプセルの扉を開けて、3名の宇宙飛行士に衛星から離脱するよう命じた。
ブルベイカー大佐、ウィリス中佐、ウォーカー少佐は、局長のいきなりの命令に驚いたが、緊急事態の発生ということで、局長のあとにしたがって、密かに発射台を離れた。そしてヘリコプターで近くの空港まで移動してから、小型ジェット機である特別な施設まで運ばれた。
その施設の部屋で、3人の宇宙飛行士を前にして、局長が「緊急事態」の説明を始めた。衛星カプセルの生命維持装置のシステムに欠陥があって、このまま飛行士を乗せて宇宙に出ると、2か月くらいで乗員は死滅してしまうのだという。
原因は、このシステムの納入業者が開発・製造費用をケチって手抜きをして、システムに重大な欠陥が生じたためだという。しかも、製造企業は平然とそれをNASAに納品していた。
この欠陥は、じつは2か月前に事前検査で判明していた。
ところが、その数日前に、プロジェクト局を大統領が訪れ、暗黙のうちに「火星着陸計画の成功」が再選戦略のなかに織り込まれていると示唆し、何としても成功させろ、失敗や計画の遅れは許さん、と号令をかけていったという。
そのため、NASAという国家装置=政府機関は、いやその幹部は自分の地位と報酬を失うこと、すなわち職業生命の剥奪を恐れて、欠陥発覚後もすべてがうまくいっているように振舞っていた。
人命と名誉を失うのは明らかだったが、事実を公表して計画を延期ないし再検討しようとすれば、この部局は廃止ないし解体され、NASAの予算と権限は大幅に切り縮められる。
という「政治的判断」で、直前に飛行士をロケットから脱出させるという、とんでもない事態になってしまったのだ。
それだけでも大きな衝撃なのに、局長は、3人の飛行士にさらにとんでもない行動を指示した。
政府と合州国市民=納税者たちには、すでに順調に高度を上げているロケットがこのまま順調に地球の重力圏を離脱し、そこで切り離された衛星が火星にまで到達する、そして無事地球に帰還するところまでの映像を送り続けるのだ、と。
そのために、3人が、衛星カプセルや火星地表の映画セットのなかで「芝居」を演じ続けるように、というものだった。
宇宙飛行士は3人とも強く拒否し、偽画像の送信に反対した。
だが、カロウェイ博士は3人を脅迫した。
3人の家族は、きょうのロケット発射の観覧に招待され、その後、同じ航空機の特別便でいっしょに帰途についている。もし、撮影への協力を拒否すれば、この飛行機は爆発事故が起きるような仕かけがされている、というのだ。
3人は、やむなく撮影に協力することにした。
ただし、技術的な理由で、地球への画像の送信は「火星着陸後の船外作業」と地球への「帰還途上での衛星内の光景」で、この場合には飛行士と家族との会話が生中継されるというものだった。
NASAの当局者たちは、ボロが出ないように、映像の場面を極力限定したわけだ。