ところで、地球の大気圏外にある宇宙衛星だが、その高度は200〜500キロメートル前後だという。地球の直径およそ1万3,000キロメートルに対する比率はだいたい60分の1から40分の1程度。つまりは、りんごや梨の皮よりは厚いが、オレンジの皮よりも薄い表皮に張りついている程度の「宇宙空間」にすぎない。
太陽風や宇宙線からの影響を防ぐためには、600キロメートル以内くらいの距離で地球に接近していなければならないようだ。
600キロメートルよりも外になると、太陽風や宇宙線の影響がかなり大きくなる。そうなると、現在稼動・建設中の宇宙ステイションモデュールで活動する人間には、無重力のほかに宇宙線=放射線によるそれなりに深刻な影響がおよぶことになる。
宇宙飛行士は、その意味では「生体実験モルモット」の役割も果たしているわけだ。
要するに、宇宙開発とはいっても、人類が活動可能な範囲としては、太陽から見て地球の陰に入っている間の月面と地球の表皮のちょいと上という程度の空間にさ迷い出ているにすぎない。
とはいえ、機械装置だけなら、そのうち太陽系の果てから外宇宙の入口くらいまで達するはずだ。ヴォイエジャーの宇宙飛行にともなって。
今しがた説明したことからすると、実際には火星着陸計画は立案・実行不可能だが、物語の文脈に即して話を進めよう。
アポロ11号の月面着陸から10年近く経過したそのとき、合州国航空宇宙研究局NASAと軍のアストロノミー部門は、自らの組織と予算、そして威信の確保のために、「有人衛星火星着陸」の計画を推進した。
市民の関心をふたたびNASAと宇宙開発に集め、予算額を増やし国家機構のなかでの地位を上昇させようと企図していたのだ。
おりしも、現大統領の任期終了が迫っていて、政権は大統領再選に向けた戦略と戦術の準備に追われていた。ゆえに、NASAのこのプロジェクトについては、政権中枢の立場はアンビヴァレント(二律背反・着かず離れず)だった。
つまり、この計画の成功は、再選戦略のプログラムのなかに不可欠の一環として織り込み済みだったが、かといって、このプロジェクトに巨額の予算を注ぎ込み、政権の主要メンバーを貼りつかせて促進・統制するほどの余力はなかった。
再選のためには、有権者がもっと「切実だ」と感じる政策分野に予算と人材を配分しなければならなかった。そして、再選の手立てとなる政策を直接に検討・推進する作業に、政権の主要メンバーが投入されていた。
NASAの運営は、政権の関心の埒外というか縁辺にあったにすぎない。
というわけで、大統領自身はこの「火星着陸計画」にやや及び腰だった。
そこで、ロケット発射当日、基地にやって来たのは大統領ではなく、副大統領夫妻だった。それなりに難しいプロジェクトなので、失敗する確率もほぼ半分くらいはあったのだ。再選プログラムには組み込まれて入るが、入れ込みすぎていると、不成功の場合に世論の非難を浴びる可能性があった。
ロケット発射に向けた直前作業はすでに数日前からカウントダウンに入っていた。前日の夜には、最後の点検を終えて燃料の注入が完了していた。
気象条件の変化は綿密に観測・予測され、ロケットや有人衛星内部のコントロール・システムのコンピュータによる点検プログラム試行が何度も重ねられていた。直前の検査も良好の判定だった。
発射地点は、フロリダ半島ケイプカナヴェラルのロケット発射基地だ。