さて、クレマン・マテュウは若い頃に音楽家――作曲家とか指揮者――をめざして地道な努力を積み重ねていた。だが、運やチャンスには恵まれず、――かなり優秀ではあったようだが――逆境を乗り越えるほどの天才もなかった。もし富裕な家庭に生まれ育っていれば、そこそこの音楽家にはなれただろう。
まあ、多くの者が経験する人生の道ともいえる。
それで、基礎学校(小中学校課程)で音楽の教師をしながら、身すぎ世すぎをしてきたようだ。
だが、挫折を味わった人間の滋味というか、卓越した洞察力と飄逸さを身につけていた。
そんな人物が、ラシャンという出世欲ゴリゴリ、自己顕示欲の塊のような校長が強圧的に支配する寄宿学校に赴任してきた。そして、初日からラシャンのファッショ的な学校管理・運営手法を目の当たりにした。
子どもたちを人間的・人格的に陶冶するという発想はどこにもなかった。荒れ狂う野獣に対して鞭を使って威圧して檻に閉じ込めて馴致するとでもいう手法だった。
自分の弱点や欠点を認めることをかたくなに拒否し、それを隠すために横暴に振舞うのだ。
■マテュウの手法■
ところが、生徒たちを強圧的に抑えつける対象としてではなく、個性ある人格の担い手と見るクレマンは、生徒たちの挙動や態度から性格や心理のありようを見抜いていく。
そんなクレマンは、あるきっかけから、マクサンスに大けがをさせた罠を仕かけたのが、問題児の1人、ル・ケレだと見抜いた。だが、クレマンはラシャンに対してそのことを告げなかった。威圧と反抗の連鎖では、問題が解決しなと信じたからだ。
その代わり、ル・ケレを問い詰めて「犯行の動機」を聞き出し、マクサンスの苦痛がどれほどだったかを説明した。
ル・ケレの言い分としては、悪さをマクサンスに注意されたことで腹を立てたからだということだが、他方で衝動的に引き起こした事態の結果の深刻さに今では怯え切っていて、深く反省していることはわかった。
だが、ここの少年たちには、自分の良心や憐憫を見せることが、自分の弱みをさらし、「敵につけ入る隙」を与える」だけだという心理にあるらしい。だから、自分の強さを見せつけるために、人一倍「悪ぶる」、粗暴な態度を見せることになる。
つまり、ラシャンの心理の裏返しなのだ。
ル・ケレはラシャンによる懲罰を恐れていた。怯え切っていた。
そこで、クレマンは彼らしい「懲罰」を与えることにした。
病院での手術から戻ったマクサンスの看病と世話をすることで、自分の心のなかでマクサンスに「許しを乞え」というものだった。
マクサンスの回復によって、許されるのだというわけだ。
その後もクレマンは、粗暴な生徒に対する対処方法に「自分らしさ」をにじませていった。
たとえば、ピエールという生徒に対して。
彼は、クレマンの授業初日に黒板に、クレマンを揶揄するような似顔絵を描いていたのを見つかった。クレマンは、叱りつける代わりに、似顔絵の腕前を誉めた。しかし、「今度は君が似顔絵のモデルになれ」と言って、教壇に立たせ続けておいて、クレマンがその似顔絵を描いた。
整った顔立ちだが嫌みな性格がにじみ出た似顔絵ができ上がった。
こうして要するに、生徒の悪戯に対して、威圧的に叱りつけたり禁圧するのではなく、それぞれの性格や心理状態を見抜いてその逆手を取って反撃する――生徒の傲岸不遜な態度をいなし揶揄しながら、心根にある孤独や怯えを慰撫する――手法を取った。