それにしても、クレマンは生徒たちの粗暴な態度を改め人格を陶冶し教養を身につけるための方法として、自分の得意な分野を活用して生徒の教育に取り組むことを考えた。きっかけは、寄宿舎の就寝房で夜中に生徒の数人がクレマンの悪口を歌にして歌っていたことだった。
自分への悪口の歌を聞きつけたクレマンは、悪ガキどもを見つけて歌を誉めた。
「もう一度歌ってみなさい」
「うん、なかなかいい声だ。いい音感をしている。
よし、決めた、みんなで合唱団をつくろう。いいね君たち」
子どもたちとしては、自分たちが仕かける悪戯や反抗に対して、逆手を取って対応してくるクレマンに手を焼き、悪口を歌って腹いせし、気分を発散させようとしたのだろう。中身はともかく、彼らの歌には気持ちが入っていて、歌い方もみごとだった。
クレマンとしては、合唱のなかに自己表現や鬱屈の向け先を見出すのも、教育の方法としては悪くないと考えた。
教師の立場を利用して、半ば強引に生徒たちを合唱団に組織した。
その夜、クレマンは少年たちの合唱曲を作曲した。低音部、中音部、高音部を分けて、長い練習期間ののちには美しいハーモニーが響くように。。
翌日、クレマンは合唱団の結成についてラシャンの許可を得た。ラシャンは「まあ、よかろう」と言ったものの、
「あの野獣どもが音楽を理解できるものか」と侮蔑の言葉をつけ加えた。
その日から授業時間の一部を使って、合唱の練習が始まった。
ラシャン校長が築き上げた厳罰と禁圧の指導体制のなかにがんじがらめに束縛されていたため、自己表現とか心から打ち込むことに飢えたいたせいだろうか、少年たちは、一方で小さな悪さを繰り返しながらも、合唱に熱心に取り組みようになっていった。
歌に自分の気持ちを込めたり、ハーモニーの快さを感じるようになっていった。